2004年に勤務先が原因でパニック障害とうつを発症して、その後退職。現在も治療継続。まだまだ周囲の助けが必要だけれど、少しずつ回復しています。
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■2005.7.12.からブログスタート
最初の日に書いた記事たちは
こちら⇒「2005.7.12.」
■但し、一度ブログを引っ越した為に画像が無い記事が多いです。
引っ越し前のブログは
こちら⇒「てくてく日記(引っ越し前)」
最初の日に書いた記事たちは
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アクセス解析
色々と昔のことを思い出し、涙する今日この頃。
失ったものはとても大きく、得たものも大きい。
何かを得れば、何かを失う。
失ったものは、社会人としての最初の大切な大切な5年。
同期たちは、その間に色々技術を身につけ、3年で実習生を教えるようになり、5年でスーパーバイザーになっていく。
私は何も身に着けないまま、仕事ができなくなってしまった。
今後、戻れることはないだろうと思う。
戻りたいとは思う。
だけれど、技術のついていない技術職など、働けるものじゃない。
未だに、医学関係の本は読むことすらできない。
見ると調子が悪くなるから、封印している。
最初は、理学療法関係の資料が届く度に調子が悪くなっていた。
こないだ、大学の同窓会の名簿が届いた。
いつもなら、見ると調子悪くなるから封印しているのだが、
今回は1週間かけて、ようやく封筒を開けることができ、
そして、名簿を見ても、調子を落とさずにすんだ。
かなり大きな成長だと、母と共に喜んだ。
いつかまた、理学療法士として働ける日が来るのだろうか。
先日、元職場に行って、ここでならやれるかもしれないと思った。
でも、今の状態じゃ2時間いるだけで、退行するので、もっとずっとずっと先だけど。
折角、両親が頑張って行かせてくれた学校で取得できた資格だから、
なんとか、戻りたいとは思うのだが、何年先になるかもわからないし、
本当に戻れるかどうかもわからない。
わからないけれど、諦めたくは無いと言う気持ちがやっぱりどこかにあるんだよね。
諦めきれない思いというのは、どこまでもどこまでも、引きずるものなんだな。
得たものは、新しい友。そして習い事をする穏やかな時間。両親と過ごす時間。自分の周りの人々の温かさを再認識する時間。
これは大きい。
新しい友には色々助けてもらい、力をもらっている。
習い事では、心の穏やかさを。そして、新たな目標を。
両親とは、29年生きてきた中で、この6年間が一番長く接していたと思う。
そして、こんな状態になった私と、今までと変わらず接してくれる旧知の友たち。その友たちの優しさを再認識し、私は幸せだと改めて思う。
悲しいことと嬉しいことは、裏表なんだなと。
失ったものもあれば、得たものもある。
あの時、違う道に進んでいたら、私の人生はどうなっただろうと考えない日はない。
自分が打たれ弱すぎたのがいけないんだけれど。
あの時、手紙が来たときに、立ち向かう勇気があれば、
公表する勇気があれば、
あの後、あんなにビクビクしながら仕事せずにすみ、先輩たちからの誘いも断らずに一緒に楽しく過ごせたのに。
なんで、あんな思いをしなければいけなかったのか。
本当に悔しい。
本当は、先輩たちと一緒に遊びたかった。
でも、遊ぶと、また脅迫状が来ると思った。
話すこともできずに、避けていた。
仕事していても、どこかで常に監視されている気がして、しんどかった。
でも、求められているからしなくてはいけない。
だって、他にする人がいないんだから。
結局は、ひとり職場。
ひとりでやりきらなければならない。
昼休憩は駐車場まで行き、車の中でひとり泣きながら食べる。時間まで寝る。
毎朝、朝礼の度に過呼吸発作を起こし、保健室で倒れている。
帰り道、わざと先輩たちから遅れてひとりで帰る。
泣きながら運転できないから、研修先の先輩に電話する。
先輩は、私が落ち着くまでずっと話を聞いてくれた。
先輩が居てくれたから、頑張れた。
感謝。
9ヶ月の社会人生活の中で、ほぼ8ヶ月は、そんな状態だった。
もし、手紙が来てなかったら、どんな人生だったろう。
今も楽しく、働いているのかな。
そう思うと、涙が止まらない。
でも、しょうがない。
こうなってしまったんだもの。
今を受け入れて、
色んなことをいっぱい諦めて、
元気になって、社会復帰することを目標に、
毎日を生きていくしかないんだよね。
時々、考えては、衝動が止められなくなるけれど、
それは、私がまだまだ成長できてない証拠だから、
もっと中身を成長させて、大人にならないとね。
さて、今日は受診日。
いつもより少しでも早く出れるように、準備を頑張りましょうか。
失ったものはとても大きく、得たものも大きい。
何かを得れば、何かを失う。
失ったものは、社会人としての最初の大切な大切な5年。
同期たちは、その間に色々技術を身につけ、3年で実習生を教えるようになり、5年でスーパーバイザーになっていく。
私は何も身に着けないまま、仕事ができなくなってしまった。
今後、戻れることはないだろうと思う。
戻りたいとは思う。
だけれど、技術のついていない技術職など、働けるものじゃない。
未だに、医学関係の本は読むことすらできない。
見ると調子が悪くなるから、封印している。
最初は、理学療法関係の資料が届く度に調子が悪くなっていた。
こないだ、大学の同窓会の名簿が届いた。
いつもなら、見ると調子悪くなるから封印しているのだが、
今回は1週間かけて、ようやく封筒を開けることができ、
そして、名簿を見ても、調子を落とさずにすんだ。
かなり大きな成長だと、母と共に喜んだ。
いつかまた、理学療法士として働ける日が来るのだろうか。
先日、元職場に行って、ここでならやれるかもしれないと思った。
でも、今の状態じゃ2時間いるだけで、退行するので、もっとずっとずっと先だけど。
折角、両親が頑張って行かせてくれた学校で取得できた資格だから、
なんとか、戻りたいとは思うのだが、何年先になるかもわからないし、
本当に戻れるかどうかもわからない。
わからないけれど、諦めたくは無いと言う気持ちがやっぱりどこかにあるんだよね。
諦めきれない思いというのは、どこまでもどこまでも、引きずるものなんだな。
得たものは、新しい友。そして習い事をする穏やかな時間。両親と過ごす時間。自分の周りの人々の温かさを再認識する時間。
これは大きい。
新しい友には色々助けてもらい、力をもらっている。
習い事では、心の穏やかさを。そして、新たな目標を。
両親とは、29年生きてきた中で、この6年間が一番長く接していたと思う。
そして、こんな状態になった私と、今までと変わらず接してくれる旧知の友たち。その友たちの優しさを再認識し、私は幸せだと改めて思う。
悲しいことと嬉しいことは、裏表なんだなと。
失ったものもあれば、得たものもある。
あの時、違う道に進んでいたら、私の人生はどうなっただろうと考えない日はない。
自分が打たれ弱すぎたのがいけないんだけれど。
あの時、手紙が来たときに、立ち向かう勇気があれば、
公表する勇気があれば、
あの後、あんなにビクビクしながら仕事せずにすみ、先輩たちからの誘いも断らずに一緒に楽しく過ごせたのに。
なんで、あんな思いをしなければいけなかったのか。
本当に悔しい。
本当は、先輩たちと一緒に遊びたかった。
でも、遊ぶと、また脅迫状が来ると思った。
話すこともできずに、避けていた。
仕事していても、どこかで常に監視されている気がして、しんどかった。
でも、求められているからしなくてはいけない。
だって、他にする人がいないんだから。
結局は、ひとり職場。
ひとりでやりきらなければならない。
昼休憩は駐車場まで行き、車の中でひとり泣きながら食べる。時間まで寝る。
毎朝、朝礼の度に過呼吸発作を起こし、保健室で倒れている。
帰り道、わざと先輩たちから遅れてひとりで帰る。
泣きながら運転できないから、研修先の先輩に電話する。
先輩は、私が落ち着くまでずっと話を聞いてくれた。
先輩が居てくれたから、頑張れた。
感謝。
9ヶ月の社会人生活の中で、ほぼ8ヶ月は、そんな状態だった。
もし、手紙が来てなかったら、どんな人生だったろう。
今も楽しく、働いているのかな。
そう思うと、涙が止まらない。
でも、しょうがない。
こうなってしまったんだもの。
今を受け入れて、
色んなことをいっぱい諦めて、
元気になって、社会復帰することを目標に、
毎日を生きていくしかないんだよね。
時々、考えては、衝動が止められなくなるけれど、
それは、私がまだまだ成長できてない証拠だから、
もっと中身を成長させて、大人にならないとね。
さて、今日は受診日。
いつもより少しでも早く出れるように、準備を頑張りましょうか。
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