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2004年に勤務先が原因でパニック障害とうつを発症して、その後退職。現在も治療継続。まだまだ周囲の助けが必要だけれど、少しずつ回復しています。
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プロフィール
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女性
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読書、書道、華道
自己紹介:
パニック障害、うつ、退行現象など。
発症から19年目に突入。
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2012年09月22日 (Sat)
あぁ、9年目か、と。

あれからどれだけ経っただろう。

同い年の子は、人生で色んな経験をしている。

職場での経験値を上げ、結婚し、出産し、育児をしている。

自分の時間は23歳で止まったままだ。

寧ろ、そこから逆流しているのではないだろうか。



自分の状態が最悪だったのは、23から26歳までの4年間だった。

嘆き、悲しみ、怒り。

心は崩壊し、精神年齢は1歳まで落ちた。

退行が酷く、まともに話せなかった。

一日中泣いていた。

未来は真っ暗で、ただ死にたくて、全てを恨んだ。

何も出来なくなってしまった。

生きている意味など無いと思っていた。

ただ、楽になりたかった。

自分のことが嫌いで堪らなかった。

一日がとても長かった。

一秒がとても長かった。



あの頃のことは、あまり覚えてない。

ただ、半年間、毎日4時間以上母を正座させて怒鳴り散らしていたことだけは、覚えている。

仕事から急いで帰ってきてくれ、ご飯を作ってくれた、疲れている母に。

親不幸にも程がある。

新聞が見える場所にあるだけで、激怒。

テレビをつけるなんてもってのほか。

メールもしんどい。

電話もしんどい。

目の前で家族がメールしたり電話したりすると激怒。

網戸を閉めなかっただけで激怒。

何をしても激怒。

ノートはぐちゃぐちゃ。

ボールペンは折っては投げ、折っては投げ。

家の壁を蹴っては穴を開け。

こだわりが酷く、気に入らないと激怒。

今となると、何と言う、面倒な奴だと思う。

否、今でも十分面倒な奴だが。

あの時、受け入れてくれた母に感謝。

母が、私が一人暮らししていた部屋で一緒に暮らすことに協力してくれた父に感謝。

学生から社会人になる大変な時期に、受け入れてくれた弟に感謝。

こんな状態でも、気にかけてくれ、付き合い続けてくれた友に感謝。

しんどくなる度に駆けこませてくれて、助けてくれた上司に感謝。

退行している状態の私を受け入れて指導してくださった、習い事の先生に感謝。

全てを受け入れてくださり、導いてくださった主治医に感謝。




怒りの時期は過ぎたものの、26から30歳までの4年間がある意味一番しんどかったかもしれない。

同年代の子たちの、結婚・出産ラッシュ。

同年代の子に会うのが辛い時もあった。

30歳になってからは、ようやくふっきれた。

自分のペースで良いんだと。

だから、同年代の子たちに会うのも楽になったし、

同年代の子たちの子どもの話を聞いても、可愛いなと、心から思える。

良かったな、って心から祝える。

いや、今までも心から祝えていたんだけれど、その半面、

どうして自分は・・・

って凄くしんどくなっていたのが、無くなったからかな。

人は人、自分は自分。

人と比べたって、自分がその子と同じ場所に立てるハズなんてないんだもの。


だけど、ふとした瞬間に思う。

このままのペースで行ったら、あと何年かかるのだろうか、と。




9年かかって、ようやく六合目。

九合目になったら働けるという言葉を支えに、毎日少しずつでも出来ることを増やせるようには努力しているつもりだ。

それでも、今までと同じペースなら、働けるのは6年後ではないだろうか。

その前に、毎日家事を出来るようにならなくてはいけない。

とにかく、毎日ご飯を作れるようにならなくちゃ。

掃除や、洗濯などは毎日しなくても、問題無いが、

ご飯は一日三食食べるので、否応が無しに付いてくる問題だ。

まぁ、朝と昼は簡単でも良い。

そんなに食べれないし。



あぁ、食べる量と言えば、8年前の三分の一くらいにはなった。

あの頃は、一日どれほど食べていただろう。

動くことすらままならず、ただ食べることでストレスを吐き出していた。

袋入りチョコレートなんて、一日で無くなった。

ご飯をお代わりするのは当たり前だった。

ぶくぶくと太って行った。

引っ越すまでの3年間で8kgほど太った。

引っ越してから、ようやく家事が出来るようになった。

一時は減った体重も、結局その後実家に戻ることになり、何も出来なくなってしまってからは増加傾向。

その後の3年間では16kgも増えた。

食事の量は減ったのに。間食もほとんどしなくなったのに。なんでだろう。

服はほとんど着れなくなった。




実家に戻り、半年以上何も出来なかった。

また、全てが出来なくなってしまった。

唯一出来たのは、ゲームかな。

そこから、また家事のリハビリを始めた。

未だに、あの一時回復したレベルまで戻れていはいない。

それでも、少しずつだけれど、出来ることは増えている。

洗濯物も、干して取り入れて畳めるようになった。

かごごと移すなら、汚れものを洗濯機に入れて、回せるようになった。

まだ、汚れものを触るのは気持ち悪くてしんどい。

掃除機はかけれるようになった。

コロコロは気持ち悪い。

雑巾がけなんてもってのほか。触れない。

クイックルワイパーならちょっとは頑張れるかもしれない。

でも、怖いししんどい。

食器は自分のは洗えるようになった。

料理の皿も洗えるようになった。

だけどまだ、人が使った食器はしんどい。

下げるのもしんどいし、気持ち悪い。

コップはなんとか洗えるようになった。

音訳で毎回洗って、鍛えてるからだ。

でも、まだ出来ない日もある。

洗うだけで退行してしまう時もある。

料理は出来るようになった。

片付けまではしんどくて出来ない。

お米を研げるようになった。

少しずつ、少しずつ。

もったいないけれど、水を流しっぱなしなら、洗面台も洗えるようになった。

お風呂も洗えるようになった。

ココと蓮の家の掃除も、前は水交換は出来なかったけれど、今は出来るようになった。

少しずつ、少しずつ。

あと出来るようにならなくちゃいけないことは、トイレ掃除が出来るようになることと、書類関係が見れるようになることと、毎日安定してちゃんとした文字が書けるようになること。

そして、まだ完全には出来ないものを、しんどくならずにこなせるようになること。

掃除にしろ、食器洗いにしろ、色々。

運転も安定して出来るようになること。

人と会った後にしんどくなり過ぎないようになること。

課題はまだまだ山積みだ。




2年前くらいだったか、ちょっと記憶が定かでないが、

パキシルが0になった。

離脱症状が酷く、1カ月、ほぼ寝たきりで、

動けるようになってからも、以前出来ていたことが出来なくなって、また一からリハビリをしてきたが、

パキシルが0になったからか、動く頻度が増えたからかわからないが、

今はMAX体重より14kg減った。

以前着ていた服で、着れなくなったものも、再び着れるようになった。

嬉しい。

未だに、おでぶだけれども、元の体重まであと10kg。

働けるようになるその時には、戻っていると良いな。

1年に1kgくらいで減ったら良いな。

運動しなきゃねぇ。

でも、朝、ちょっとした家事をするだけで、結構へとへとです。

世の中の、働いている人、家事をしている人、学校に通っている人、尊敬します。

自分もいつか、その社会の歯車の中に入れたら良いな。

いや、入るんだ。

と思って頑張らないとね。

毎日、頑張っているんだけどね。

実は、結構いっぱいいっぱい。

でもね、この間、習字に運転していけなくて、母に送迎してもらった帰り道、

感謝の言葉を伝えると、母がこう言ったんだ。


「母さんの体力が続く限り、援助するからね。」




あぁ、頑張らなきゃ。

早く良くならなきゃ、と改めて思ったよ。

今の私が、こうしていられるのも、

沢山の人たちの援助のおかげなのだから。

日々、感謝して、精一杯生きます。

無理せず、てくてくと、それでも精一杯の速度で。

決して後戻りせず、前に向かって進めるように。

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