2004年に勤務先が原因でパニック障害とうつを発症して、その後退職。現在も治療継続。まだまだ周囲の助けが必要だけれど、少しずつ回復しています。
カウンター
過去記事一覧
(直近40か月分を表示)
(直近40か月分を表示)
■2005.7.12.からブログスタート
最初の日に書いた記事たちは
こちら⇒「2005.7.12.」
■但し、一度ブログを引っ越した為に画像が無い記事が多いです。
引っ越し前のブログは
こちら⇒「てくてく日記(引っ越し前)」
最初の日に書いた記事たちは
こちら⇒「2005.7.12.」
■但し、一度ブログを引っ越した為に画像が無い記事が多いです。
引っ越し前のブログは
こちら⇒「てくてく日記(引っ越し前)」
アクセス解析
ただいま。
ようやく落ち着いて帰って来ました。
多分、原因はビデオを見たことだと考えられます。
それが無意識のところで何か作用したのではないか、と。
本来は、今日はひとりの夜の予定でした。
その心の準備もできていたはずなのに、17時近くになって、急激に落ちて、
また、母に取り押さえられました。
泣き叫びながら、病院に電話しましたが、生憎、先生は休み。
○さんに電話して、それでもおさまらず、泣いてばかり。
顔が無表情になっていくのがわかるんです。
ひとしきり泣いた後、何か決意したように。
いつもそれで、ベランダに行って飛び降りようとしたり、
外に行って、どこかにいこうとしたりするんですけど、
今日は先にベランダへの窓の鍵を母に閉められ、
唯一の出口の前も、母が仁王立ちをして塞ぐという状態でした。
私の頭の中にあったのは、一刻も早く、○さんに会うということでした。
仕事中だというのはわかっています。
十分解っているんですけど、しんどくてしんどくて…
母を苦しめる言葉をたくさん吐いたりもしました。
また、母を泣かせてしまいました。
それでも苦しみから逃れることなく、救いの手を求めて、行動したかったんです。
放心状態が強いまま、母に無理やり出発させました。
車のドアも開けれない、シートベルトも自力で締められない、そんな状態で。
久しぶりにノートにぐちゃぐちゃ線を書き続けました。
何かぶつぶついいながら、指を噛みながら、右手は小刻みに震えて、線を描き続けます。
「駐車場で待とうね」
そんな母の言葉も、私の心を変えることは出来ません。
私は、園の中に行きたかったんです。
ロビーの椅子に座って、保健室を見ながら、○さんの仕事が終わるのを待ちたかったんです。
私の頭の中は、そこでノートに線を描き続けている自分の姿しか思い浮かびませんでした。
園に到着して、外に出ようとする私を必死に止める母。
金切り声で叫ぶ私。
母が園に電話して、○さんに伝言して、○さんが駐車場まで迎えに来てくれました。
そこでも泣いて叫ぶ私。
振戦は登場してるし、泣いてるし、ビシビシ書いてるし………もう、わやでした。
ただ、ロビーに行きたかったんです。
当初の想像を変えることは、これ以上ない苦痛でした。
なんとか、涙だけはおさめて、園に行きました。
久しぶりに母に付き添ってもらって。
歩いている間中も、ノートに線を書き続けます。
ロビーに入って、ソファに座って、書き続けます。
振戦が出現します。
母が横で「深呼吸」と言いながら、背中を撫でてくれます。
利用者さんや職員さんが声を掛けてくれるけど、返事をすることが出来ません。
○さんの仕事が終わるまで、30分以上、そうして待っていました。
最後の方は少し落ち着いて、退行したままですが、言葉を発せられるようになっていました。
「だいだい(バイバイ)」と言って、園を後にしました。
仕事で疲れているはずなのに、○さんは快く、迎え入れてくれました。
ようやく、さくらちゃんに会えました。
飛び跳ねてくるさくらちゃん。
顔をぺろぺろ舐めてくれるさくらちゃん。
私は、とっても幸せでした。
とっても嬉しかったです。
○さん宅に着いたときには、もう大人の私になっていました。
さくらちゃんと、○さんのおかげかな☆
ラッキーなことに、北海道のラリージャパンの様子を少しビデオで見ることができました。
鳥肌が立ちました。
本当に、ありがとうございました。
○さんには、いつもお世話になっています。
○さんが居てくださるから、最後の頼みの綱だから、そんな場所があるから、私は今も生きているんだと思います。
母にも感謝です。
いつも、私が暴れて、泣き叫んで、罵倒して……死のうとしたら、
あの小柄な身体からは想像できない力で、私を制してくれます。
○さんちにも連れて行ってくれます。
付き添ってくれます。
母がいるから、私はこうして生きていられるんだと思います。
今は、疲れ果てて、本当に力のない感じです。
多くの方に、申し訳なさとありがたさで心がいっぱいになります。
本当に、本当に、ありがとうございます。
ごめんね。もうしないように、気をつけるよ、お母さん。
だから、泣かないで。
本当に、ごめんね。いつもいつも、ありがとう。
ようやく落ち着いて帰って来ました。
多分、原因はビデオを見たことだと考えられます。
それが無意識のところで何か作用したのではないか、と。
本来は、今日はひとりの夜の予定でした。
その心の準備もできていたはずなのに、17時近くになって、急激に落ちて、
また、母に取り押さえられました。
泣き叫びながら、病院に電話しましたが、生憎、先生は休み。
○さんに電話して、それでもおさまらず、泣いてばかり。
顔が無表情になっていくのがわかるんです。
ひとしきり泣いた後、何か決意したように。
いつもそれで、ベランダに行って飛び降りようとしたり、
外に行って、どこかにいこうとしたりするんですけど、
今日は先にベランダへの窓の鍵を母に閉められ、
唯一の出口の前も、母が仁王立ちをして塞ぐという状態でした。
私の頭の中にあったのは、一刻も早く、○さんに会うということでした。
仕事中だというのはわかっています。
十分解っているんですけど、しんどくてしんどくて…
母を苦しめる言葉をたくさん吐いたりもしました。
また、母を泣かせてしまいました。
それでも苦しみから逃れることなく、救いの手を求めて、行動したかったんです。
放心状態が強いまま、母に無理やり出発させました。
車のドアも開けれない、シートベルトも自力で締められない、そんな状態で。
久しぶりにノートにぐちゃぐちゃ線を書き続けました。
何かぶつぶついいながら、指を噛みながら、右手は小刻みに震えて、線を描き続けます。
「駐車場で待とうね」
そんな母の言葉も、私の心を変えることは出来ません。
私は、園の中に行きたかったんです。
ロビーの椅子に座って、保健室を見ながら、○さんの仕事が終わるのを待ちたかったんです。
私の頭の中は、そこでノートに線を描き続けている自分の姿しか思い浮かびませんでした。
園に到着して、外に出ようとする私を必死に止める母。
金切り声で叫ぶ私。
母が園に電話して、○さんに伝言して、○さんが駐車場まで迎えに来てくれました。
そこでも泣いて叫ぶ私。
振戦は登場してるし、泣いてるし、ビシビシ書いてるし………もう、わやでした。
ただ、ロビーに行きたかったんです。
当初の想像を変えることは、これ以上ない苦痛でした。
なんとか、涙だけはおさめて、園に行きました。
久しぶりに母に付き添ってもらって。
歩いている間中も、ノートに線を書き続けます。
ロビーに入って、ソファに座って、書き続けます。
振戦が出現します。
母が横で「深呼吸」と言いながら、背中を撫でてくれます。
利用者さんや職員さんが声を掛けてくれるけど、返事をすることが出来ません。
○さんの仕事が終わるまで、30分以上、そうして待っていました。
最後の方は少し落ち着いて、退行したままですが、言葉を発せられるようになっていました。
「だいだい(バイバイ)」と言って、園を後にしました。
仕事で疲れているはずなのに、○さんは快く、迎え入れてくれました。
ようやく、さくらちゃんに会えました。
飛び跳ねてくるさくらちゃん。
顔をぺろぺろ舐めてくれるさくらちゃん。
私は、とっても幸せでした。
とっても嬉しかったです。
○さん宅に着いたときには、もう大人の私になっていました。
さくらちゃんと、○さんのおかげかな☆
ラッキーなことに、北海道のラリージャパンの様子を少しビデオで見ることができました。
鳥肌が立ちました。
本当に、ありがとうございました。
○さんには、いつもお世話になっています。
○さんが居てくださるから、最後の頼みの綱だから、そんな場所があるから、私は今も生きているんだと思います。
母にも感謝です。
いつも、私が暴れて、泣き叫んで、罵倒して……死のうとしたら、
あの小柄な身体からは想像できない力で、私を制してくれます。
○さんちにも連れて行ってくれます。
付き添ってくれます。
母がいるから、私はこうして生きていられるんだと思います。
今は、疲れ果てて、本当に力のない感じです。
多くの方に、申し訳なさとありがたさで心がいっぱいになります。
本当に、本当に、ありがとうございます。
ごめんね。もうしないように、気をつけるよ、お母さん。
だから、泣かないで。
本当に、ごめんね。いつもいつも、ありがとう。
PR
この記事にコメントする