忍者ブログ
2024.05│ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31
2004年に勤務先が原因でパニック障害とうつを発症して、その後退職。現在も治療継続。まだまだ周囲の助けが必要だけれど、少しずつ回復しています。
応援クリックお願いします
プロフィール
HN:
HP:
性別:
女性
趣味:
読書、書道、華道
自己紹介:
パニック障害、うつ、退行現象など。
発症から19年目に突入。
カウンター
アクセス解析
2015年05月14日 (Thu)
ダメージ来てますね。

ラジオ体操すら出来なかったよ。

今日は大人しく作業していることにするよ。

作業なら座っていたら何とか出来そうだし。




ピィが亡くなってから実は昼寝とか、朝寝とかあまり出来なくなった。

横になっていても眠れない。

誰かが居ないと眠れない。

だから両親が帰ってきてから寝ようとするのだけれど、それでもやっぱり眠れない。

今までだったら寝ているのに。

何だろうなぁ。

誰かが居たら眠れることもある。

何だろうなぁ。





それはさて置き。




昨夜はまた書道の先生に色々と相談に乗って頂いた。

少し、楽になったし、希望が持てた。

そして頑張ろうと思った。

希望が無いと、夢が無いと、前向きにならないと、中々進めないね。





帰宅してから母とこの11年間を振り返っていた。

母が覚えていた私とのやり取りを聞かせてもらった。

とても恐ろしかった。

私の台詞がそれはもうとても恐ろしかった。

今の自分が聞いたら泣き出してしまうくらいに、恐ろしかった。

それを母は穏やかに対処してくれていた。

本当に感謝でいっぱいだ。

母も怖かったと言っていた。

ビクビクしながら過ごしていたと言っていた。

それでも、傍に居てくれた。見捨てずに世話をしてくれた。感謝。




あの頃、実家に帰ると父がピリピリしていた。

仕事のことでピリピリしていた。

私はすぐに引きずられて怒り爆発させていた。

今もそう。

父の状態に左右されてしまう。

我が家のキーポイント、キーパーソンは父なのです。

父の体調如何によって家族が左右される。主に私だけれど。

だから、実家に帰れなかったというのがある。

振り返ると、実家に帰れなかったことによる様々な出費はとても痛手だし、

我が家の経済状況を考えると実家に帰らなくては行けなかったのだけれど、

実家に帰ると私もだけれど父の体調も悪化するので、

結局、数年かけて実家に戻ると言うのが私たちにとっては最善の方法だったと思いたい。

その間、母には多大な負担をかけてしまったのだけれど。

27歳の時に実家に帰ったが、まだ父の状態が不安定で、私も引きずられて不安定になるのだけれど、

ここ3年くらいは穏やかだ。

本当に。比較的穏やかな時間が流れている。

家族と過ごしながら笑うことも出来るようになった。

三十路を迎えるまで、家族と過ごしていて笑うなんてこと殆ど無かった。

友人たちと過ごす時は笑えるのにね。

三十路を越えて、父の環境が変わり、父の体調も変わり、私の体調も落ち着いて来た。

まだ年に数回怒り爆発とか、死にたい、とかあるけれど、

まぁ、昔に比べたら落ち着いた。本当にかなり落ち着いた。

両親への暴言も大分減ったと思う。



来月には12年目を迎える。

穏やかに、穏やかに過ごしながら、緩やかな成長を遂げながら進んで行きたいと思う。

拍手[0回]

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
←No.21961No.21960No.21959No.21958No.21957No.21956No.21955No.21954No.21953No.21952No.21951
ブログ内検索
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新CM
[04/28 蓮]
[04/24 ろんり~うるふ]
最新TB
バーコード