2004年に勤務先が原因でパニック障害とうつを発症して、その後退職。現在も治療継続。まだまだ周囲の助けが必要だけれど、少しずつ回復しています。
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■2005.7.12.からブログスタート
最初の日に書いた記事たちは
こちら⇒「2005.7.12.」
■但し、一度ブログを引っ越した為に画像が無い記事が多いです。
引っ越し前のブログは
こちら⇒「てくてく日記(引っ越し前)」
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アクセス解析
私は主治医から残業は1時間までと言われています。
でも昨日は、今日が休みだと言うことで、先輩たちが帰って良いと言ってくださったけど1時間45分の残業をしました。
私は残業が1時間を過ぎると歩くのがとても難しくなります。
また、帰宅しても稼働時間と同じくらい休まないと次の行動が出来ないのです。
発症前は、一日に12時間以上働いていました。
もちろん、サービス残業で残業代は付きません。
私の中には、その頃の働き方がどうしても基準となって残っているようです。
昨日は知り合いに会ったので、ベンチに座って話していました。
ところが、相手が善意で言ってくれている言葉も、責められているように感じてしまうのです。
コロナが始まって健康な方でもコロナ鬱になると言われています。
もともと、鬱病の私にとってこの数ヶ月はとてもしんどいものでした。
特にここ最近、鬱の症状が酷くなっています。
先日も仕事中に失敗をしたことで、振戦が止まらず。
涙も止まらず。
まるで燕の子のように口を開けて、先輩が、薬と、お茶と、チョコレートを口に入れてくださいました。
誰もそんなことを言ってないのに、自己否定が強くなって、毎日辛いです。
昨日も、会話の中であることを励まされていたのです。
でもそれが、私にとっては、強い自己否定となって、遂には過呼吸発作と振戦が止まらなくなりました。
誰かが「救急車を呼ぼうか」と言ってくれていましたが、答えることも出来ません。
先輩方がまだ仕事をされていたので、呼んできてくださいました。
また、先輩に薬とお茶とチョコレートを口に入れてもらいました。
この職場で働き始めて1年8ヶ月で、遂に今の職場でも過呼吸発作を起こしてしまいました。前の職場では毎日発作を起こしていたのですが。
数年前のことを思い出しました。
あの頃は、退行現象が無くなったら働けると信じていて、どうにかして退行現象を減らそうとした結果、過呼吸発作が増えていました。
退職してからは主に主治医や家族、主人の前だけで過呼吸発作を起こしていたので、救急車を呼ばれることはありませんでした。
ですが数年前に、公民館で発作を起こした為に救急車を呼ばれました。勤務中の母のもとにも連絡が行き、母が仕事を抜けて駆け付けてくれました。
その後の受診の際に主治医に相談したところ、過呼吸発作と退行現象では、周りの方に与える不安感は退行現象の方が少ないと言われました。また過呼吸発作を起こすと全身に酸素が行き渡らなくなるので、全身が痺れて起き上がることも出来なくなります。脳へも酸素が行き渡らなくなるので、退行現象の方が身体への負担が少ないとのことでした。
私自身も自分の身体がどうしてこのような症状を起こすのか、17年経った今でも分かりません。
ですが、あの診察をきっかけに過呼吸発作が減り、その分退行現象が爆発的に増えました。
ありがたいことに、家族はもちろんのこと、友人も退行した私を受け入れてくれます。
また、今の職場の方々も私の退行現象を受け入れてくださっています。
おかげさまで、退行現象があっても、こうして働くことが出来るのです。
ただ、振戦と過呼吸発作は別です。
あれが起こると働くことが出来ません。
最初の振戦の際は回復までに40分かかったと述べた記憶が有りますが、あれは勤務中だったのであれでもかなり頑張って治めたのです。
ですが、昨日は勤務後だったこともあり、結局、母に連絡が取れて駆け付けてくれるまで1時間半、振戦が治ることはありませんでした。
流石に昨日は疲れ果てました。
早々に寝て、途中で何度も起きましたが合計で11時間30分ほど寝ました。
おかげさまで、少し楽になりました。
数日前も、夕ご飯を食べようとしても体を動かすことが出来ず。
主人が枕をくれて休ませてくれて、その後に起き上がらせてくれて、ご飯を準備してくれました。おかげさまで薬も飲めて少し楽になってそのまま何とか布団に移動して寝ました。
私がどんな状態になっても、こうして側に居てくれる主人に感謝です。
また、家を出たにも関わらず、いつも私の相談に乗ってくれる母にも感謝です。父も父なりに気にかけてくれています。
早く自立したいと思っていますが、まだまだ遠い道のりのようです。
次の出勤日からは、残業を1時間までにして帰るように出来るように頑張ります。
これ、この1年8ヶ月で度々言っていることなんですけど、本当に学習出来ない自分で困ります。
その度に皆さんに迷惑をかけているので、本当に気を付けたいです。
でも昨日は、今日が休みだと言うことで、先輩たちが帰って良いと言ってくださったけど1時間45分の残業をしました。
私は残業が1時間を過ぎると歩くのがとても難しくなります。
また、帰宅しても稼働時間と同じくらい休まないと次の行動が出来ないのです。
発症前は、一日に12時間以上働いていました。
もちろん、サービス残業で残業代は付きません。
私の中には、その頃の働き方がどうしても基準となって残っているようです。
昨日は知り合いに会ったので、ベンチに座って話していました。
ところが、相手が善意で言ってくれている言葉も、責められているように感じてしまうのです。
コロナが始まって健康な方でもコロナ鬱になると言われています。
もともと、鬱病の私にとってこの数ヶ月はとてもしんどいものでした。
特にここ最近、鬱の症状が酷くなっています。
先日も仕事中に失敗をしたことで、振戦が止まらず。
涙も止まらず。
まるで燕の子のように口を開けて、先輩が、薬と、お茶と、チョコレートを口に入れてくださいました。
誰もそんなことを言ってないのに、自己否定が強くなって、毎日辛いです。
昨日も、会話の中であることを励まされていたのです。
でもそれが、私にとっては、強い自己否定となって、遂には過呼吸発作と振戦が止まらなくなりました。
誰かが「救急車を呼ぼうか」と言ってくれていましたが、答えることも出来ません。
先輩方がまだ仕事をされていたので、呼んできてくださいました。
また、先輩に薬とお茶とチョコレートを口に入れてもらいました。
この職場で働き始めて1年8ヶ月で、遂に今の職場でも過呼吸発作を起こしてしまいました。前の職場では毎日発作を起こしていたのですが。
数年前のことを思い出しました。
あの頃は、退行現象が無くなったら働けると信じていて、どうにかして退行現象を減らそうとした結果、過呼吸発作が増えていました。
退職してからは主に主治医や家族、主人の前だけで過呼吸発作を起こしていたので、救急車を呼ばれることはありませんでした。
ですが数年前に、公民館で発作を起こした為に救急車を呼ばれました。勤務中の母のもとにも連絡が行き、母が仕事を抜けて駆け付けてくれました。
その後の受診の際に主治医に相談したところ、過呼吸発作と退行現象では、周りの方に与える不安感は退行現象の方が少ないと言われました。また過呼吸発作を起こすと全身に酸素が行き渡らなくなるので、全身が痺れて起き上がることも出来なくなります。脳へも酸素が行き渡らなくなるので、退行現象の方が身体への負担が少ないとのことでした。
私自身も自分の身体がどうしてこのような症状を起こすのか、17年経った今でも分かりません。
ですが、あの診察をきっかけに過呼吸発作が減り、その分退行現象が爆発的に増えました。
ありがたいことに、家族はもちろんのこと、友人も退行した私を受け入れてくれます。
また、今の職場の方々も私の退行現象を受け入れてくださっています。
おかげさまで、退行現象があっても、こうして働くことが出来るのです。
ただ、振戦と過呼吸発作は別です。
あれが起こると働くことが出来ません。
最初の振戦の際は回復までに40分かかったと述べた記憶が有りますが、あれは勤務中だったのであれでもかなり頑張って治めたのです。
ですが、昨日は勤務後だったこともあり、結局、母に連絡が取れて駆け付けてくれるまで1時間半、振戦が治ることはありませんでした。
流石に昨日は疲れ果てました。
早々に寝て、途中で何度も起きましたが合計で11時間30分ほど寝ました。
おかげさまで、少し楽になりました。
数日前も、夕ご飯を食べようとしても体を動かすことが出来ず。
主人が枕をくれて休ませてくれて、その後に起き上がらせてくれて、ご飯を準備してくれました。おかげさまで薬も飲めて少し楽になってそのまま何とか布団に移動して寝ました。
私がどんな状態になっても、こうして側に居てくれる主人に感謝です。
また、家を出たにも関わらず、いつも私の相談に乗ってくれる母にも感謝です。父も父なりに気にかけてくれています。
早く自立したいと思っていますが、まだまだ遠い道のりのようです。
次の出勤日からは、残業を1時間までにして帰るように出来るように頑張ります。
これ、この1年8ヶ月で度々言っていることなんですけど、本当に学習出来ない自分で困ります。
その度に皆さんに迷惑をかけているので、本当に気を付けたいです。
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