2004年に勤務先が原因でパニック障害とうつを発症して、その後退職。現在も治療継続。まだまだ周囲の助けが必要だけれど、少しずつ回復しています。
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■2005.7.12.からブログスタート
最初の日に書いた記事たちは
こちら⇒「2005.7.12.」
■但し、一度ブログを引っ越した為に画像が無い記事が多いです。
引っ越し前のブログは
こちら⇒「てくてく日記(引っ越し前)」
最初の日に書いた記事たちは
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引っ越し前のブログは
こちら⇒「てくてく日記(引っ越し前)」
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昨日の帰り道に母と話しました。
まず、昨日のできごと。
4日に受診したものの、先生が急遽欠勤。
薬だけ処方してもらって、次回の4月1日まで頑張ろうとしたものの、体調不良が続くので1週間早いけれども受診をすることに決めて、昨日受診。
病院に到着してみると、受付に先生が27日まで欠勤とのお知らせ有り。
受付の人に来週は先生が出勤されているか尋ねると、来週出勤されるかはわからないとのこと。
先生に何かあったのではと、不安募る。先生がお元気かを尋ねると、大丈夫とのこと。
いろんな考えが頭の中を駆け巡る。ロビーで泣いていた。
処方箋を出してもらったので薬局へ。
受付で処方箋を渡すとソファーの端っこに座り、過呼吸になる。
薬剤師さんと受付の人と、他の患者さんに看病されて発作はおさまるものの、退行し、ガッチャンになる。
薬局でここまで悪くなったのは、この9年で初めて。
良くなるまで居て良いと言われたので、ガッチャンのまま居る。
仕事を終えた母から電話。ガッチャンだったので、母が電車で迎えに来てくれることになった。
母が職場を変わってからこの一年、何とか一人で受診していたが、流石に今回ばかりは一人での帰宅は無理と判断された。まったくもって、その通り。助かった。
電話終了後も良くなる気配が無いので、ホームセンターのペットショップに動物を見に行くことにした。
ガッチャン状態は何とか終わったので、退行状態で移動。
薬局の人がホームセンターまでついてきてくれると言ってくださったが(ホームセンターは道路の反対側)、頑張って一人で行くことにした。横断歩道を渡り終えるまで、お二人が見送ってくださった。感謝。
ふらふらしながら歩行。
ペットショップに到着。ベンチを発見し、座って動物さんを見ている。
次第に楽になってきた。助かった。
母と合流。前の習字の先生(御年89)のお宅まで連れて行ってもらう。
久しぶりに先生と会えた。涙が出た。話を聞いてもらった。励ましてもらった。笑わせてもらった。元気が出た。頑張ろうと思った。感謝。
先生に書道展の作品を見ていただいた(母が持ってきてくれた)。
「千」が似ていると言われて嬉しかった。
リンにも元気をもらった。
そして、帰り道。
母と話す。
「過渡期」じゃないか、と。
先生依存が強すぎるために起きた、今回の発作。
実は昨年まではそんなに起こらなくなっていた過呼吸発作が、今年に入ってからは月に数回起きている。
大概が就寝前に布団の中で起きているのだけれど、今回の薬局で起きた発作は本当に酷かった。
勤務中に毎朝のように発作が起きて、保健室で倒れていたのがフラッシュバックされた。
言葉にできない思いが駆け巡って、不安に押しつぶされそうで、苦しかった。
人と関わるのが怖い。
人と話すのが怖い。
人と話した後は、体調が悪くなる。話している最中でも、悪くなるけれども。
外出もしんどい。
でも、頑張らないと。
「頑張る」というか、「踏ん張る」かな。
ここから下に落ちてはいけない。戻ってはいけない。踏ん張らないと。やっとここまで上がって来れたんだ。
話は戻って、
私は、「人依存」がかなり強い。
だからこそ、昨年習字の先生から教室を続けられないと言われ、新しい教室に変わることになった時、かなり体調が悪くなった。
それでも、約一年かけて、なんとかなんとか続けていられる。新しい先生も優しい先生に巡り会えて、感謝している。他の生徒さんも優しい。
両親も共に職場が変わり、日々の生活のリズムも変わった。それにもようやく慣れてきた。
もうすぐ一年。
6月を迎えれば、発症して10年目に突入する。
当初、10年経てば働けるようになっていると思っていた。
否、3ヶ月。
そう、休職した時に、3ヶ月で復帰できると言われていたのだ。
それがもう9年。
あっという間のようでいて、とても長かった。
今度は、この一番厄介な「人依存」をどうにかしろ、という神様の思し召しなのだろうか。
先生依存が強すぎるために、現在先生パワー不足である。
不足であるが故に、しんどい。力が出ない。だが、出ないなりに踏ん張っている。
これから先も先生が今の病院にいるかどうか、確約はできない。
だから、最悪のことも考えないといけないし、そうなった時に戻らないようにしないといけない。
母と相談し、今後どうしていくかも決めた。
少し、楽になった。
人生、何が起こるかわからない。
強くならないと、早く良くならないと。
とにかく、元気にならないと。
だから、踏ん張る。毎日、踏ん張る。
今日もしんどかった。
朝、洗濯物を干すのを頼まれた。
私は、頑張ろうと思って「大丈夫」と言った。
それで、母が居る内に頑張ろうと思って干そうとしたけれど、母が手伝ってくれた。
後で聞いたが、あの時私の目がおかしかったらしい。
調子が悪い時の表情だったらしい。
自分ではわからないのだけれど。無理をしていたのだ。
案の定、母が出発してからお風呂に入ったら、退行した。
出てからもしばらく、横になって退行していた。
どれくらい退行していただろう。
一向に良くなる気配が無いので、リビングに移動した。
ココと蓮に声をかけて、ふたりを見ていた。
すると次第に楽になってきた。
助かった。
それから、休憩をしながら、ココと蓮の家を掃除した。
ふたりが居てくれることが、どれほど救いか。
何度助けられただろう。ありがとう。
少しでも出来ることを、と踏ん張っている。
踏ん張りすぎて、しんどくなるけれども、しなくちゃ。今、しなくちゃ。
少しずつ、少しずつ慣らしていかなくちゃ。慣らしていく、しんどくても。
今日はゆっくりと過ごした。
習字の宿題は明日に持ち越し。
ゆっくりと、ゆっくりと。
少し回復。
多分、頑張れる。
今日も一日お疲れ様。明日もよろくしお願いします。
さぁ、日記を書いたら寝ようかね。
昨日はしんどすぎて書く事もできず、19時に寝てしまったから。
ではでは。
まず、昨日のできごと。
4日に受診したものの、先生が急遽欠勤。
薬だけ処方してもらって、次回の4月1日まで頑張ろうとしたものの、体調不良が続くので1週間早いけれども受診をすることに決めて、昨日受診。
病院に到着してみると、受付に先生が27日まで欠勤とのお知らせ有り。
受付の人に来週は先生が出勤されているか尋ねると、来週出勤されるかはわからないとのこと。
先生に何かあったのではと、不安募る。先生がお元気かを尋ねると、大丈夫とのこと。
いろんな考えが頭の中を駆け巡る。ロビーで泣いていた。
処方箋を出してもらったので薬局へ。
受付で処方箋を渡すとソファーの端っこに座り、過呼吸になる。
薬剤師さんと受付の人と、他の患者さんに看病されて発作はおさまるものの、退行し、ガッチャンになる。
薬局でここまで悪くなったのは、この9年で初めて。
良くなるまで居て良いと言われたので、ガッチャンのまま居る。
仕事を終えた母から電話。ガッチャンだったので、母が電車で迎えに来てくれることになった。
母が職場を変わってからこの一年、何とか一人で受診していたが、流石に今回ばかりは一人での帰宅は無理と判断された。まったくもって、その通り。助かった。
電話終了後も良くなる気配が無いので、ホームセンターのペットショップに動物を見に行くことにした。
ガッチャン状態は何とか終わったので、退行状態で移動。
薬局の人がホームセンターまでついてきてくれると言ってくださったが(ホームセンターは道路の反対側)、頑張って一人で行くことにした。横断歩道を渡り終えるまで、お二人が見送ってくださった。感謝。
ふらふらしながら歩行。
ペットショップに到着。ベンチを発見し、座って動物さんを見ている。
次第に楽になってきた。助かった。
母と合流。前の習字の先生(御年89)のお宅まで連れて行ってもらう。
久しぶりに先生と会えた。涙が出た。話を聞いてもらった。励ましてもらった。笑わせてもらった。元気が出た。頑張ろうと思った。感謝。
先生に書道展の作品を見ていただいた(母が持ってきてくれた)。
「千」が似ていると言われて嬉しかった。
リンにも元気をもらった。
そして、帰り道。
母と話す。
「過渡期」じゃないか、と。
先生依存が強すぎるために起きた、今回の発作。
実は昨年まではそんなに起こらなくなっていた過呼吸発作が、今年に入ってからは月に数回起きている。
大概が就寝前に布団の中で起きているのだけれど、今回の薬局で起きた発作は本当に酷かった。
勤務中に毎朝のように発作が起きて、保健室で倒れていたのがフラッシュバックされた。
言葉にできない思いが駆け巡って、不安に押しつぶされそうで、苦しかった。
人と関わるのが怖い。
人と話すのが怖い。
人と話した後は、体調が悪くなる。話している最中でも、悪くなるけれども。
外出もしんどい。
でも、頑張らないと。
「頑張る」というか、「踏ん張る」かな。
ここから下に落ちてはいけない。戻ってはいけない。踏ん張らないと。やっとここまで上がって来れたんだ。
話は戻って、
私は、「人依存」がかなり強い。
だからこそ、昨年習字の先生から教室を続けられないと言われ、新しい教室に変わることになった時、かなり体調が悪くなった。
それでも、約一年かけて、なんとかなんとか続けていられる。新しい先生も優しい先生に巡り会えて、感謝している。他の生徒さんも優しい。
両親も共に職場が変わり、日々の生活のリズムも変わった。それにもようやく慣れてきた。
もうすぐ一年。
6月を迎えれば、発症して10年目に突入する。
当初、10年経てば働けるようになっていると思っていた。
否、3ヶ月。
そう、休職した時に、3ヶ月で復帰できると言われていたのだ。
それがもう9年。
あっという間のようでいて、とても長かった。
今度は、この一番厄介な「人依存」をどうにかしろ、という神様の思し召しなのだろうか。
先生依存が強すぎるために、現在先生パワー不足である。
不足であるが故に、しんどい。力が出ない。だが、出ないなりに踏ん張っている。
これから先も先生が今の病院にいるかどうか、確約はできない。
だから、最悪のことも考えないといけないし、そうなった時に戻らないようにしないといけない。
母と相談し、今後どうしていくかも決めた。
少し、楽になった。
人生、何が起こるかわからない。
強くならないと、早く良くならないと。
とにかく、元気にならないと。
だから、踏ん張る。毎日、踏ん張る。
今日もしんどかった。
朝、洗濯物を干すのを頼まれた。
私は、頑張ろうと思って「大丈夫」と言った。
それで、母が居る内に頑張ろうと思って干そうとしたけれど、母が手伝ってくれた。
後で聞いたが、あの時私の目がおかしかったらしい。
調子が悪い時の表情だったらしい。
自分ではわからないのだけれど。無理をしていたのだ。
案の定、母が出発してからお風呂に入ったら、退行した。
出てからもしばらく、横になって退行していた。
どれくらい退行していただろう。
一向に良くなる気配が無いので、リビングに移動した。
ココと蓮に声をかけて、ふたりを見ていた。
すると次第に楽になってきた。
助かった。
それから、休憩をしながら、ココと蓮の家を掃除した。
ふたりが居てくれることが、どれほど救いか。
何度助けられただろう。ありがとう。
少しでも出来ることを、と踏ん張っている。
踏ん張りすぎて、しんどくなるけれども、しなくちゃ。今、しなくちゃ。
少しずつ、少しずつ慣らしていかなくちゃ。慣らしていく、しんどくても。
今日はゆっくりと過ごした。
習字の宿題は明日に持ち越し。
ゆっくりと、ゆっくりと。
少し回復。
多分、頑張れる。
今日も一日お疲れ様。明日もよろくしお願いします。
さぁ、日記を書いたら寝ようかね。
昨日はしんどすぎて書く事もできず、19時に寝てしまったから。
ではでは。
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