2004年に勤務先が原因でパニック障害とうつを発症して、その後退職。現在も治療継続。まだまだ周囲の助けが必要だけれど、少しずつ回復しています。
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■2005.7.12.からブログスタート
最初の日に書いた記事たちは
こちら⇒「2005.7.12.」
■但し、一度ブログを引っ越した為に画像が無い記事が多いです。
引っ越し前のブログは
こちら⇒「てくてく日記(引っ越し前)」
最初の日に書いた記事たちは
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これ書いたかどうだか忘れたのだけれど・・・
前回、10年以上溜め続けていた薬局でいただくお薬の説明書を処分していた時のこと。
まぁ、なんで溜めていたかっていうのは、単に溜めることで心を満たして行っていたってのもあるかもしれないけれど、社会復帰出来た時に「ほら、こんなに飲んでたのにこんなに少なくなったよ、凄いね。」って自分で認識したかっただけなのかもしれない。
実際に、10年前に遡れば遡るほどに薬の種類は多く、かなりの数だった。
例えば
過去→現在 だとすると
パキシル40mg→無し
ソラナックス4mg3錠+頓服→4mg2錠
アモキサン25mg2錠→25mg2錠
デパス→無し
ロラメット→無し
ちょっとあとは覚えていないけれど、これだけ見てもかなり良くなったな、と思う。
相変わらず副作用の便秘に対する処方は変わって居ないけれど。
チネラック錠2錠→センノサイド2錠
マグミット4錠→酸化マグネシウム4錠
って感じに、ジェネリックになった感じ。
名前あってるかな?まぁ、そんな感じ。
なんか他にも飲んでたけれど分からないや。
たちまち一日16錠以上飲んでたのは覚えている。
記憶とはこんなもんなんだろうなぁ。
今は10錠に減ったよ。やったねベイベー。
まぁ、これらの薬のおかげで割りと普通に過ごせるようになったんだけれどね。
まぁ、波はあるけれど大分受け入れられるようになったしね。
で、話が脱線してしまったんだけれど、肝心の内容は。
これと一緒に出てきた、最初に渡された冊子の話。
「パニック障害の患者さんとご家族の為に」
みたいなやつが出てきたのですよ。
当時は書類とか読めるわけもなく、読むことも出来ずにいたのですが、改めてちらちらと読んでみました。(今も書類関係はほとんど読むことが出来ないので、もっぱら両親任せです。いつか読めるようにならなきゃね。)
そこで書いてあったのがね。
まぁ、パニック障害は適切な治療をしていって、自分自身で病気のことを受け入れることが出来たら、1年位で治る、というようなものでした。
うーん。
もうすぐ12年なんですけれど。
なんだろうなぁ。
と考えたら、結局、「自分自身で受け入れる」ってのが出来て居ないんですよね。
それプラス。
他の症状も複合的に発症してしまったので、なんかやねこいことになってるんだろうなぁ、って思います。
先日の茂木さんの発言の「脳の個性」という言葉がずっと残っています。
今の私。
よくわからんちんの私。
これも個性と思えれば、かなり気持ちが楽なんですよね。
そうして認めてしまえば、あとは苦手なところを練習して克服していけば社会復帰もすぐそこなんじゃないかと期待が広がります。
11年。結構凄かったなぁ。
日記は最後までとっておこうと思うよ。
その時その時の心の変化とか、めっちゃ書いてあるもの。
まぁ、よくぞここまで日記を書き続けれたなぁ、とは思うけれど、
それはこのブログのおかげなんだよね。
実際に鉛筆を持って文字を書くってのが本当に出来ない時期があって、
でも、ここだったらキーボードさえ打てればなんとかなるもの。
本当に救いです。
あと、心の中にあるものをこうしてアウトプットすることによって、自分自身と話し合っている感じがするのです。
そうそう、こう思って居たんだよ。
あ、この考え方はちょっと偏りすぎだから方向転換出来たら良いな、とかね。
うん。
もうね、あれですよ。
干支が一回りしちゃいますよ。
本当、頑張らなきゃね。
いや、頑張っているんだよ。
うまい言葉が見つからないなぁ。
まぁ、出来ることをコツコツと積み重ねていけば、なんとかなるね。
ファイトー。
前回、10年以上溜め続けていた薬局でいただくお薬の説明書を処分していた時のこと。
まぁ、なんで溜めていたかっていうのは、単に溜めることで心を満たして行っていたってのもあるかもしれないけれど、社会復帰出来た時に「ほら、こんなに飲んでたのにこんなに少なくなったよ、凄いね。」って自分で認識したかっただけなのかもしれない。
実際に、10年前に遡れば遡るほどに薬の種類は多く、かなりの数だった。
例えば
過去→現在 だとすると
パキシル40mg→無し
ソラナックス4mg3錠+頓服→4mg2錠
アモキサン25mg2錠→25mg2錠
デパス→無し
ロラメット→無し
ちょっとあとは覚えていないけれど、これだけ見てもかなり良くなったな、と思う。
相変わらず副作用の便秘に対する処方は変わって居ないけれど。
チネラック錠2錠→センノサイド2錠
マグミット4錠→酸化マグネシウム4錠
って感じに、ジェネリックになった感じ。
名前あってるかな?まぁ、そんな感じ。
なんか他にも飲んでたけれど分からないや。
たちまち一日16錠以上飲んでたのは覚えている。
記憶とはこんなもんなんだろうなぁ。
今は10錠に減ったよ。やったねベイベー。
まぁ、これらの薬のおかげで割りと普通に過ごせるようになったんだけれどね。
まぁ、波はあるけれど大分受け入れられるようになったしね。
で、話が脱線してしまったんだけれど、肝心の内容は。
これと一緒に出てきた、最初に渡された冊子の話。
「パニック障害の患者さんとご家族の為に」
みたいなやつが出てきたのですよ。
当時は書類とか読めるわけもなく、読むことも出来ずにいたのですが、改めてちらちらと読んでみました。(今も書類関係はほとんど読むことが出来ないので、もっぱら両親任せです。いつか読めるようにならなきゃね。)
そこで書いてあったのがね。
まぁ、パニック障害は適切な治療をしていって、自分自身で病気のことを受け入れることが出来たら、1年位で治る、というようなものでした。
うーん。
もうすぐ12年なんですけれど。
なんだろうなぁ。
と考えたら、結局、「自分自身で受け入れる」ってのが出来て居ないんですよね。
それプラス。
他の症状も複合的に発症してしまったので、なんかやねこいことになってるんだろうなぁ、って思います。
先日の茂木さんの発言の「脳の個性」という言葉がずっと残っています。
今の私。
よくわからんちんの私。
これも個性と思えれば、かなり気持ちが楽なんですよね。
そうして認めてしまえば、あとは苦手なところを練習して克服していけば社会復帰もすぐそこなんじゃないかと期待が広がります。
11年。結構凄かったなぁ。
日記は最後までとっておこうと思うよ。
その時その時の心の変化とか、めっちゃ書いてあるもの。
まぁ、よくぞここまで日記を書き続けれたなぁ、とは思うけれど、
それはこのブログのおかげなんだよね。
実際に鉛筆を持って文字を書くってのが本当に出来ない時期があって、
でも、ここだったらキーボードさえ打てればなんとかなるもの。
本当に救いです。
あと、心の中にあるものをこうしてアウトプットすることによって、自分自身と話し合っている感じがするのです。
そうそう、こう思って居たんだよ。
あ、この考え方はちょっと偏りすぎだから方向転換出来たら良いな、とかね。
うん。
もうね、あれですよ。
干支が一回りしちゃいますよ。
本当、頑張らなきゃね。
いや、頑張っているんだよ。
うまい言葉が見つからないなぁ。
まぁ、出来ることをコツコツと積み重ねていけば、なんとかなるね。
ファイトー。
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