2004年に勤務先が原因でパニック障害とうつを発症して、その後退職。現在も治療継続。まだまだ周囲の助けが必要だけれど、少しずつ回復しています。
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■2005.7.12.からブログスタート
最初の日に書いた記事たちは
こちら⇒「2005.7.12.」
■但し、一度ブログを引っ越した為に画像が無い記事が多いです。
引っ越し前のブログは
こちら⇒「てくてく日記(引っ越し前)」
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外見で分かる病気と違って、一見して分からない病気。
そんな病気で苦しんでいる方々はいっぱいいらっしゃって。
それでも、働いたり、学校に行ったりされている方々もいっぱいいらっしゃって。
どんなに頑張っても中々働くとかいうレベルの社会復帰が出来ない方々もいっぱいいらっしゃって。
でも、家事は出来るよ、とか、外出は出来るよ、とかのレベルでの社会復帰は出来ている方々もいっぱいいらっしゃって。
本当、いっぱいいっぱい色んな方々がいらっしゃって、それぞれがそれぞれのレベルで必死にもがいて足掻いて生きていられるんだな、ということを最近特にひしひしと感じるのです。
私はついつい、自分のことで精一杯で、そうした他の方々のこととか中々考えられることが出来なかったのですが、
ここ数年、色々と環境が変わって今まで出会わなかった人たちとも出会うことが出来て、お話する機会をいただくことによって、自分の中で何かが少しずつ変わって行っていく感じがしているのです。
ひとつの大きなきっかけは、やっぱり習い事が変わったことでしょうか。
3年前に、書道教室が変わって、小学生~社会人の方々と同じ時間帯に習うことになりました。
3年。
私ははたから見たら何も大きな変化はないのですが、他の方々はそれぞれ大きな転機を迎えられています。
学生さんは、進級したり受験したり、学生時代の3年間とはこうも密なものだったのか、とまざまざと見せ付けられてきました。
本当に凄い密度で時間が流れているのです。
出会った時に、中学生だったお子さんは、もう高校生になりました。
小学生だったお子さんは、もう中学生になりました。
低学年だったお子さんは、もう高学年になりました。
社会人の方も職場が変わられて色々と大変そうです。
そう。
何も変わらないのは私だけなのです。
社会一般の時間の流れとはこうも早いものか、と実感する日々です。
だからかな。
私も、変わらなきゃ、変わろう、変わりたい、っていう風に強く思うようになりました。
そういう意味でも、この書道教室が変わったことは私にとっても良い転機だったと言えると思います。
また、公民館活動に携わるようになって、こちらは両親よりも年配の方ばかりなのですが、その方々も、大病をされたり、ご家族に変化があったり、ご自身でもまた新たなことがあったりと、私からしたらとても目まぐるしく変化されています。
それでも、変わらず温かく接してくださるそのお人柄は、尊敬出来るものです。
私もあんな風に歳を重ねていきたいです。
華道教室も、変化がありました。
そもそも、華道教室には元職場の上司や同僚の方がいらっしゃってて、その紹介で通わせていただいているのですが、
そこで元職場の情報を仕入れたりとかもしていたのですが、今はもう退職されたりしていて、ここでも11年という月日の長さを思い知らされました。
私も順調に勤めていたら、もっと大きな変化があっただろうなぁ、と思って悔しい思いが消えないのですが、それは乗り越えていかないといけませんよね。
なんか、どんどん話しがずれて行っているのですが、
私は外出して人と会う時はなるべく普通に振舞うようにしているのですが、
まぁ、退行でもしない限りは分からないんだろうなぁ、と思うようになりました。
そりゃそうですよね。
どもるくらいはきっと普通だし。
しんどい、っていうのは外から見ただけでは分からない症状だし。
そうかぁ、普通かぁ。普通なんだ。
って思ったら、なんだか気持ちが楽になりました。
あとね、改めて凄いって思うのは、
普通な時も、いきなり退行した時も、全く態度を変えずに接してくださる周りの方々の凄さです。
自分自身が自分を受け入れられない中で、そうしてもらえるってのは、なんだか認めてもらえてるいうか、生きてていいんだ、って、そのままで良いんだって、無言で言われているような感じを受けるのです。
皆さん、サラっとされているので、それが皆さんにとっては普通なのでしょうが、私が逆な立場になったと考えたら、出来そうにないなぁ、と思ってしまうので、いつも感謝でいっぱいです。
そうして、みなさんにいただいた、プラスの感情を、私も周りの方にお返し出来ていけたら良いなぁ、そうなりたいなぁ、と思うのです。
こうしてつらつら書いているだけでも、心の中のもやもやがこう、形になっていくようで、自分と向き合えているような感じがします。
うん。
今日も一日、大事に生きよう。
そんな病気で苦しんでいる方々はいっぱいいらっしゃって。
それでも、働いたり、学校に行ったりされている方々もいっぱいいらっしゃって。
どんなに頑張っても中々働くとかいうレベルの社会復帰が出来ない方々もいっぱいいらっしゃって。
でも、家事は出来るよ、とか、外出は出来るよ、とかのレベルでの社会復帰は出来ている方々もいっぱいいらっしゃって。
本当、いっぱいいっぱい色んな方々がいらっしゃって、それぞれがそれぞれのレベルで必死にもがいて足掻いて生きていられるんだな、ということを最近特にひしひしと感じるのです。
私はついつい、自分のことで精一杯で、そうした他の方々のこととか中々考えられることが出来なかったのですが、
ここ数年、色々と環境が変わって今まで出会わなかった人たちとも出会うことが出来て、お話する機会をいただくことによって、自分の中で何かが少しずつ変わって行っていく感じがしているのです。
ひとつの大きなきっかけは、やっぱり習い事が変わったことでしょうか。
3年前に、書道教室が変わって、小学生~社会人の方々と同じ時間帯に習うことになりました。
3年。
私ははたから見たら何も大きな変化はないのですが、他の方々はそれぞれ大きな転機を迎えられています。
学生さんは、進級したり受験したり、学生時代の3年間とはこうも密なものだったのか、とまざまざと見せ付けられてきました。
本当に凄い密度で時間が流れているのです。
出会った時に、中学生だったお子さんは、もう高校生になりました。
小学生だったお子さんは、もう中学生になりました。
低学年だったお子さんは、もう高学年になりました。
社会人の方も職場が変わられて色々と大変そうです。
そう。
何も変わらないのは私だけなのです。
社会一般の時間の流れとはこうも早いものか、と実感する日々です。
だからかな。
私も、変わらなきゃ、変わろう、変わりたい、っていう風に強く思うようになりました。
そういう意味でも、この書道教室が変わったことは私にとっても良い転機だったと言えると思います。
また、公民館活動に携わるようになって、こちらは両親よりも年配の方ばかりなのですが、その方々も、大病をされたり、ご家族に変化があったり、ご自身でもまた新たなことがあったりと、私からしたらとても目まぐるしく変化されています。
それでも、変わらず温かく接してくださるそのお人柄は、尊敬出来るものです。
私もあんな風に歳を重ねていきたいです。
華道教室も、変化がありました。
そもそも、華道教室には元職場の上司や同僚の方がいらっしゃってて、その紹介で通わせていただいているのですが、
そこで元職場の情報を仕入れたりとかもしていたのですが、今はもう退職されたりしていて、ここでも11年という月日の長さを思い知らされました。
私も順調に勤めていたら、もっと大きな変化があっただろうなぁ、と思って悔しい思いが消えないのですが、それは乗り越えていかないといけませんよね。
なんか、どんどん話しがずれて行っているのですが、
私は外出して人と会う時はなるべく普通に振舞うようにしているのですが、
まぁ、退行でもしない限りは分からないんだろうなぁ、と思うようになりました。
そりゃそうですよね。
どもるくらいはきっと普通だし。
しんどい、っていうのは外から見ただけでは分からない症状だし。
そうかぁ、普通かぁ。普通なんだ。
って思ったら、なんだか気持ちが楽になりました。
あとね、改めて凄いって思うのは、
普通な時も、いきなり退行した時も、全く態度を変えずに接してくださる周りの方々の凄さです。
自分自身が自分を受け入れられない中で、そうしてもらえるってのは、なんだか認めてもらえてるいうか、生きてていいんだ、って、そのままで良いんだって、無言で言われているような感じを受けるのです。
皆さん、サラっとされているので、それが皆さんにとっては普通なのでしょうが、私が逆な立場になったと考えたら、出来そうにないなぁ、と思ってしまうので、いつも感謝でいっぱいです。
そうして、みなさんにいただいた、プラスの感情を、私も周りの方にお返し出来ていけたら良いなぁ、そうなりたいなぁ、と思うのです。
こうしてつらつら書いているだけでも、心の中のもやもやがこう、形になっていくようで、自分と向き合えているような感じがします。
うん。
今日も一日、大事に生きよう。
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