2004年に勤務先が原因でパニック障害とうつを発症して、その後退職。現在も治療継続。まだまだ周囲の助けが必要だけれど、少しずつ回復しています。
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■2005.7.12.からブログスタート
最初の日に書いた記事たちは
こちら⇒「2005.7.12.」
■但し、一度ブログを引っ越した為に画像が無い記事が多いです。
引っ越し前のブログは
こちら⇒「てくてく日記(引っ越し前)」
最初の日に書いた記事たちは
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引っ越し前のブログは
こちら⇒「てくてく日記(引っ越し前)」
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思い起こせば、休職したのは去年の2月。
もう、1年と半年が過ぎた。
今でも調子が悪い日は悪いが、確実に変わってきていると思う。
最近の口癖は、
『なんたん良くなったよね!』
だ。
『良くなった』
と口にすることで、それを聴覚から脳へとフィードバックし、自分自身をさらに肯定する。
そんなループが出来上がっている。
最近、文章にするのがすごく苦手になってきた。
てくてく日記も読み返してみれば、日々の夢の話(それも単語の羅列)が多くなってきた。
思いは溢れているのに、文章に出来ない。
その分、のべつくまなく喋り続ける。
まるで自分の思いをまとめるかのように。
母はずっと、聞き役だ。
母がいてくれるから、私は自分の心を保てているのではなかろうかと思う。
去年は、ひたすらノートに書いていた。
自分の心の中を書いて、書いて、書いて。。。
実家に連れ帰られた時に、病院を変えた。
そこでは、そのノートを読んでくれることはなかった。
1月ちょっとで、もう実家は無理だと判断した。
我が家に帰ってきた。
病院も元に戻った。
久しぶりに会った先生は、その大量のノートに全て目を通してくれた。
感動した。
「この先生は、読んでくれるんだ。受けとめてくれるんだ。」
とても嬉しかった。
それからは、ノートに書く事で、まるで先生と話をしているかのような感覚を得て、気持ちを落ち着かせていた。
去年の7月。
ブログに出会い、てくてく日記を立ち上げた。
ここが、私の拠り所となった。
文字を書くのが、とてもしんどい時でも、ブログであれば、タイピングすれば文字となる。
とても助かった。
今でも助けられている。
まだまだ文字を書く事は、私にとっては苦痛であり、疲れる動作だからだ。
私のパニック発作は、大分抑えられている。
薬の数もそれだけ増えたし、なるべくそういう場面に近づかないようにしているからだと思う。
その分、退行現象が強く出てきた。
元来、私の中にはふたりの私が存在していた。
A(ホントの私)とB(ペルソナの私)だ。
休職になった途端、まず、Bが崩れた。
続いて、Aが崩れた。
そして代わりに登場してきたのが、
A´(退行したホントの私)とB´(退行したペルソナの私)だ。
前々回の診察で、先生は退行することを「逃げ」だと言った。
私はショックだった。
だけど、前回の診察でその真意を尋ねたところ、
B´の退行のことを先生は「逃げ」だと判断していると、私は理解した。
つまり、全ての退行が悪いわけではなく、
B´が好ましくない状態だということだ。
現に、A´の退行レベルは次第に改善されてきている。
同じ現場での退行具合を以前と現在とで比較すると、かなり違っているのが解る。
つまり、A´は、経過と共に改善され、いずれ消えるということだ。
その時こそが、私のパニック障害との戦いが終わる瞬間でもあると考える。
一方、B´はある状況下で発生すると考えられるのだが、これは確かに自分にとってはマイナスであると判断される。
何故なら、それは自分の心を自分自身で否定してしまっているからだ。
これでは、良くなるものも良くならない。
よって、私のこれから注意すべきことは、
A´を否定することなく、
B´を抑えるように、
うまく立ち回っていく。
ということだと思う。
なかなか難しいと思うが、自分の中で何かけじめをつけないと、いつまで経っても前に進まないと思うから。
先生に言われた言葉を、
自分の中で咀嚼し、
自分のものとする。
その上で、
それを実生活に反映させ、
自分自身をより高める。
それこそが、
回復への道標なのではないか
と思うのだ。
自己肯定ができる人間になり、
より楽しく日々が過ごせるように。
まだまだ私の戦いは続く。
もう、1年と半年が過ぎた。
今でも調子が悪い日は悪いが、確実に変わってきていると思う。
最近の口癖は、
『なんたん良くなったよね!』
だ。
『良くなった』
と口にすることで、それを聴覚から脳へとフィードバックし、自分自身をさらに肯定する。
そんなループが出来上がっている。
最近、文章にするのがすごく苦手になってきた。
てくてく日記も読み返してみれば、日々の夢の話(それも単語の羅列)が多くなってきた。
思いは溢れているのに、文章に出来ない。
その分、のべつくまなく喋り続ける。
まるで自分の思いをまとめるかのように。
母はずっと、聞き役だ。
母がいてくれるから、私は自分の心を保てているのではなかろうかと思う。
去年は、ひたすらノートに書いていた。
自分の心の中を書いて、書いて、書いて。。。
実家に連れ帰られた時に、病院を変えた。
そこでは、そのノートを読んでくれることはなかった。
1月ちょっとで、もう実家は無理だと判断した。
我が家に帰ってきた。
病院も元に戻った。
久しぶりに会った先生は、その大量のノートに全て目を通してくれた。
感動した。
「この先生は、読んでくれるんだ。受けとめてくれるんだ。」
とても嬉しかった。
それからは、ノートに書く事で、まるで先生と話をしているかのような感覚を得て、気持ちを落ち着かせていた。
去年の7月。
ブログに出会い、てくてく日記を立ち上げた。
ここが、私の拠り所となった。
文字を書くのが、とてもしんどい時でも、ブログであれば、タイピングすれば文字となる。
とても助かった。
今でも助けられている。
まだまだ文字を書く事は、私にとっては苦痛であり、疲れる動作だからだ。
私のパニック発作は、大分抑えられている。
薬の数もそれだけ増えたし、なるべくそういう場面に近づかないようにしているからだと思う。
その分、退行現象が強く出てきた。
元来、私の中にはふたりの私が存在していた。
A(ホントの私)とB(ペルソナの私)だ。
休職になった途端、まず、Bが崩れた。
続いて、Aが崩れた。
そして代わりに登場してきたのが、
A´(退行したホントの私)とB´(退行したペルソナの私)だ。
前々回の診察で、先生は退行することを「逃げ」だと言った。
私はショックだった。
だけど、前回の診察でその真意を尋ねたところ、
B´の退行のことを先生は「逃げ」だと判断していると、私は理解した。
つまり、全ての退行が悪いわけではなく、
B´が好ましくない状態だということだ。
現に、A´の退行レベルは次第に改善されてきている。
同じ現場での退行具合を以前と現在とで比較すると、かなり違っているのが解る。
つまり、A´は、経過と共に改善され、いずれ消えるということだ。
その時こそが、私のパニック障害との戦いが終わる瞬間でもあると考える。
一方、B´はある状況下で発生すると考えられるのだが、これは確かに自分にとってはマイナスであると判断される。
何故なら、それは自分の心を自分自身で否定してしまっているからだ。
これでは、良くなるものも良くならない。
よって、私のこれから注意すべきことは、
A´を否定することなく、
B´を抑えるように、
うまく立ち回っていく。
ということだと思う。
なかなか難しいと思うが、自分の中で何かけじめをつけないと、いつまで経っても前に進まないと思うから。
先生に言われた言葉を、
自分の中で咀嚼し、
自分のものとする。
その上で、
それを実生活に反映させ、
自分自身をより高める。
それこそが、
回復への道標なのではないか
と思うのだ。
自己肯定ができる人間になり、
より楽しく日々が過ごせるように。
まだまだ私の戦いは続く。
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無題
>こうとうでんさん
こうとうでんさん、初めまして(p*^-^)p<welcome!!>q(^-^*q)
そうですよね!
『日進月歩』…日々に進み、月々に歩む。
これ、大切ですよね(^^
>進まなくても前を向けているか
そっか!そうですよね。
歩みの速さばかりに気を取られてしまいがちですが、大切なのは「どっちを向いているか」なんですよね。
大切なことに改めて気付かせてくださって、ありがとうございます♪
こうとうでんさんが、こうして応援してくださっていることが、とても嬉しく、力をくれます(〃⌒∇⌒)ゞえへへっ♪
ありがとうございます☆
見ていてください。前を向き続けれるように、私の心をココに記していきます。
まずは、今!
前を向いて、未来を向いて…
こうとうでんさん、初めまして(p*^-^)p<welcome!!>q(^-^*q)
そうですよね!
『日進月歩』…日々に進み、月々に歩む。
これ、大切ですよね(^^
>進まなくても前を向けているか
そっか!そうですよね。
歩みの速さばかりに気を取られてしまいがちですが、大切なのは「どっちを向いているか」なんですよね。
大切なことに改めて気付かせてくださって、ありがとうございます♪
こうとうでんさんが、こうして応援してくださっていることが、とても嬉しく、力をくれます(〃⌒∇⌒)ゞえへへっ♪
ありがとうございます☆
見ていてください。前を向き続けれるように、私の心をココに記していきます。
まずは、今!
前を向いて、未来を向いて…