2004年に勤務先が原因でパニック障害とうつを発症して、その後退職。現在も治療継続。まだまだ周囲の助けが必要だけれど、少しずつ回復しています。
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(直近40か月分を表示)
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■2005.7.12.からブログスタート
最初の日に書いた記事たちは
こちら⇒「2005.7.12.」
■但し、一度ブログを引っ越した為に画像が無い記事が多いです。
引っ越し前のブログは
こちら⇒「てくてく日記(引っ越し前)」
最初の日に書いた記事たちは
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引っ越し前のブログは
こちら⇒「てくてく日記(引っ越し前)」
アクセス解析
2月14日
仕事。
朝5:00に目が覚めた。
ヘンなドキドキがあって、気持ち悪くて…
結局、母さんと一緒に実家に帰った。
父さんに会えてよかったけど、その後、大泣きして、母さん半日休ませちゃった…
さらに、園長先生が朝礼で発表してくれたということを知り、ほっとしたと同時に、まわりの態度がどうなるのだろうかとか、気になってきた。
で、また涙。
今日は全体懇談会だったから、園長先生が利用者の皆さんにも発表してくれることになった。
その後、みんなが気づかってくれて、嬉しかった。
「ありがとう。大丈夫。」って言えばいいんだって。
「体調不良」とだけ伝えてくれてるみたいだからね。
ただ、夜キツかった。
帰りの運転こわかった。
夜、友達が雑炊つくりに来てくれた。
友達にも話できた。
今は、それで楽になったよ。
2月15日
仕事。
朝、起きれた。
今日は、カルテの整理をした。スッキリ。楽だったよ。
一息ついて、あることをした。
みんなの名前と顔がわからなくなっているのが怖くて、この状態じゃみんなに会えなくなる日が来るような気がして…
Aさんが教えてくれた。
「ここの利用者さんは家族に愛されてるから、優しく出来る。」んだって。
納得。
今日は夜、お母さん来てくれた。ありがとう。
2月16日
仕事。
お母さんを仕事に送った後、動けず。
Bさんに電話。
「行けないかも。」
お母さんに電話。夜、来てくれることに。
今日は作業棟トイレ手すり設置。
Cさんが休みだったので、他の人達に頼んだ。
現場の人の意見、すごいなと思った。
尊重しなくてはいけないと思ったけど、コロコロ変わる意見に心がついていけずパニック。
なんで、いつも、たたき台つくってるんだろう。しんどい。気持悪い…
Dさんと話していたら、17時過ぎ。
気持悪い。
帰ろうと思ったら、出口に人が居って、帰れず。
Bさんに会って、洗面所にかくまってもらったけど、大泣き&過呼吸。
そして誰かに見つかった。
床に倒れていた。
お母さんタクシーで来てくれた。
Bさん話聞いてくれた。
上司宅にお邪魔した。
母さん来て、上司と母さんに話を聞いてもらい、長期休暇を決心した。
明日、病院に行く。
私、悪くなった。
********************
これが、園での最後の週です。
何か、感じるものがあったのでしょう。
15日には、ある行動を起こしています。
そして、最後の16日。
…もう、限界でした。
隠し通せませんでした。
ただ、人がいただけで、下駄箱に近寄れなかったのです。
恐怖で佇んでました。
ただ、帰りたかったのに。
…そして、隠れてた場所で発作。
今まで、職員にはみつからないように、利用者さんにも見つからないようにしてたのに、隠れてたのに…
見つかってしまいました。
大騒ぎ。
…もうダメでした。
母が、職場から、電車とタクシーを乗り継いで迎えに来てくれました。
それまで、上司が助けてくれてました。
そして、私は決心したのです。
作業棟トイレ…設計から参加し、最後の手すり位置を決めるとこまでできました。
リハビリ…新人理学療法士として着任し、病院研修をさせてもらいながら、いろいろやってきました。
一からの立ち上げです。多くの壁にぶつかりながら、多くの人に助けられながら、病気になりながら、100人弱の利用者さん、ほぼ全員に、一度はリハビリを体験してもらうことができました。
それだけの基盤を残しました。
カルテも作りました。
せっかく、ようやく、形ができたところです。
これからなのに…
でも、二進も三進も行かない状態になってしまいました。
苦渋の決断でした。
私にとっては。
もっと、働きたかった。
最後まで見届けたかった。
この波をこわしたくない。
利用者さんに、もっと楽になって欲しい。笑顔が見たい。
トイレ、完成がみたかった。あれだけ頑張ったのだから。
まだまだ、やりたいことがたくさんある!
たくさんある!!
だけど、だけど…
ここまでです。
もう、私は、1人では何もできません。動けません。
支えてもらえなければ、立ち上がれません。
…ここまでです。
仕事。
朝5:00に目が覚めた。
ヘンなドキドキがあって、気持ち悪くて…
結局、母さんと一緒に実家に帰った。
父さんに会えてよかったけど、その後、大泣きして、母さん半日休ませちゃった…
さらに、園長先生が朝礼で発表してくれたということを知り、ほっとしたと同時に、まわりの態度がどうなるのだろうかとか、気になってきた。
で、また涙。
今日は全体懇談会だったから、園長先生が利用者の皆さんにも発表してくれることになった。
その後、みんなが気づかってくれて、嬉しかった。
「ありがとう。大丈夫。」って言えばいいんだって。
「体調不良」とだけ伝えてくれてるみたいだからね。
ただ、夜キツかった。
帰りの運転こわかった。
夜、友達が雑炊つくりに来てくれた。
友達にも話できた。
今は、それで楽になったよ。
2月15日
仕事。
朝、起きれた。
今日は、カルテの整理をした。スッキリ。楽だったよ。
一息ついて、あることをした。
みんなの名前と顔がわからなくなっているのが怖くて、この状態じゃみんなに会えなくなる日が来るような気がして…
Aさんが教えてくれた。
「ここの利用者さんは家族に愛されてるから、優しく出来る。」んだって。
納得。
今日は夜、お母さん来てくれた。ありがとう。
2月16日
仕事。
お母さんを仕事に送った後、動けず。
Bさんに電話。
「行けないかも。」
お母さんに電話。夜、来てくれることに。
今日は作業棟トイレ手すり設置。
Cさんが休みだったので、他の人達に頼んだ。
現場の人の意見、すごいなと思った。
尊重しなくてはいけないと思ったけど、コロコロ変わる意見に心がついていけずパニック。
なんで、いつも、たたき台つくってるんだろう。しんどい。気持悪い…
Dさんと話していたら、17時過ぎ。
気持悪い。
帰ろうと思ったら、出口に人が居って、帰れず。
Bさんに会って、洗面所にかくまってもらったけど、大泣き&過呼吸。
そして誰かに見つかった。
床に倒れていた。
お母さんタクシーで来てくれた。
Bさん話聞いてくれた。
上司宅にお邪魔した。
母さん来て、上司と母さんに話を聞いてもらい、長期休暇を決心した。
明日、病院に行く。
私、悪くなった。
********************
これが、園での最後の週です。
何か、感じるものがあったのでしょう。
15日には、ある行動を起こしています。
そして、最後の16日。
…もう、限界でした。
隠し通せませんでした。
ただ、人がいただけで、下駄箱に近寄れなかったのです。
恐怖で佇んでました。
ただ、帰りたかったのに。
…そして、隠れてた場所で発作。
今まで、職員にはみつからないように、利用者さんにも見つからないようにしてたのに、隠れてたのに…
見つかってしまいました。
大騒ぎ。
…もうダメでした。
母が、職場から、電車とタクシーを乗り継いで迎えに来てくれました。
それまで、上司が助けてくれてました。
そして、私は決心したのです。
作業棟トイレ…設計から参加し、最後の手すり位置を決めるとこまでできました。
リハビリ…新人理学療法士として着任し、病院研修をさせてもらいながら、いろいろやってきました。
一からの立ち上げです。多くの壁にぶつかりながら、多くの人に助けられながら、病気になりながら、100人弱の利用者さん、ほぼ全員に、一度はリハビリを体験してもらうことができました。
それだけの基盤を残しました。
カルテも作りました。
せっかく、ようやく、形ができたところです。
これからなのに…
でも、二進も三進も行かない状態になってしまいました。
苦渋の決断でした。
私にとっては。
もっと、働きたかった。
最後まで見届けたかった。
この波をこわしたくない。
利用者さんに、もっと楽になって欲しい。笑顔が見たい。
トイレ、完成がみたかった。あれだけ頑張ったのだから。
まだまだ、やりたいことがたくさんある!
たくさんある!!
だけど、だけど…
ここまでです。
もう、私は、1人では何もできません。動けません。
支えてもらえなければ、立ち上がれません。
…ここまでです。
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