2004年に勤務先が原因でパニック障害とうつを発症して、その後退職。現在も治療継続。まだまだ周囲の助けが必要だけれど、少しずつ回復しています。
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■2005.7.12.からブログスタート
最初の日に書いた記事たちは
こちら⇒「2005.7.12.」
■但し、一度ブログを引っ越した為に画像が無い記事が多いです。
引っ越し前のブログは
こちら⇒「てくてく日記(引っ越し前)」
最初の日に書いた記事たちは
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引っ越し前のブログは
こちら⇒「てくてく日記(引っ越し前)」
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昨夜は、○さんのお宅にお邪魔して、心の充電させてもらってきました。
いろんな話をしました。
ずっと心にひっかかってることとかを聞いたりして、
帰る頃にはすっきりしていました。
でも、緊張すると、退行してしまいます。
まだまだ修行が足りませぬ。
さて、帰り道。
母といろいろ話しました。
話すと、私はだんだん興奮してきます。
自分の心の中のもやもやを言葉に変換しているからです。
そんな中、心を楽にしてくれる言葉を見つけました。
それは
「十人十色」
と
「考えない」
です。
以前から、自分の心にはよく言い聞かせていたのですが、
今回、これを更に強く思うようになりました。
そうです。
私がほしいのは、
私が身につけなければいけないのは、
『揺るぎない心』
なのです。
どんなことがあっても、
予想外のことがあっても、
自分自身を保っていられる、
そんな心の強さ。
…それが、私には必要なのです。
前回の発作が起きた時のことを考えます。
あれは、予想外のことが連続して起こりました。
そして何より恐れていたこと、
それは、他人の心無い視線です。
本当は、そんなことなくて、ただ「ちらっ」と見ただけなのに、
私の心はそれに敏感に反応して、悪いように、悪いように捉えてしまいます。
善意の言葉も、私は裏を考えて、考えて…悪意の言葉のように捉えてしまいます。
この「考えすぎ」が私の中で、どんどん悪循環を促し、
結果、
「発作」
という形で出現したのだと考えます。
…というか、そう考えたいです。
以前の私は、他人の裏の顔にそんなに敏感ではありませんでした。
全てはあの手紙から。
そう思います。
人の裏ばかりを考えてしまう。
信じられない。
信じたいのに、信じられない。
苦しい。
どうして。
どうしたらいい。
今までの人生、世の中は善意に満ち溢れていると感じていたのに、
あの瞬間から、世の中は悪意に満ち溢れると感じるようになりました。
他人が怖い。
視線が怖い。
会話が怖い。
何もかもが怖い。
何を信じていいのかわからない。
裏を考える。
考えると苦しくなる。
苦しくなりすぎると、発作が起きる。
そんなことの繰り返し。
この悪循環を断ち切るためには、
私は、もっと心を強くもたなければならない。
自分と違う考え方に触れた時、
それに自分を見失ってはいけない。
「十人十色」
それぞれに、それぞれの考え方がある。
それを考慮した上で、受け入れればいい。
聞き流せるものは、聞き流せるようになればいい。
自分との違いに、怯えなくていい。
自分は自分。
他人は他人。
みんな違うから、面白いんだ。
そう思えるようになろう。
そうしたら、いろんな言葉に心が揺るぐこともなくなるだろう。
それに、心痛めることもなくなるだろう。
自分を、見失わないですむようになるだろう。
そしてもうひとつ。
「考えないこと」
大切だ。
どうやら、私は何でもかんでも考え過ぎるらしい。
わかってはいるんだけど、このマイナスな思考回路は止められない。
それを言葉に出すことに、とても勇気がいる。
延々と自分の思考回路の迷路で彷徨っている。
言葉に発すると、「考えすぎ」という一言に払拭される。
そうなんだ。
考えすぎなんだ。
でも、考えることをやめることはできない。
どうしたらいい。
それには、自分で思うしかない。
「考えるな」
「そこまで深く考えるな」
と。
自分が思ってるほど、ヒトは自身が発した言葉や行動を考えてないかもしれない。
軽い気持ちでやってて、そして、すぐに忘れているのかもしれない。
だけど、私は忘れない。
何年経っても忘れない。
いつまでたっても逃れられない。
その鎖から逃れられない。
逃れたい。
忘れたい。
楽になりたい。
そのために、「考えない」ように努めること、
それが、私に出来る自己防衛方法のひとつなのだと思いたい。
「揺るぎない心」を手に入れた時、
それは、私が楽に、前向きに、世間の荒波に再び乗り出す時なのだろう。
今はそう信じて、
日々の修行をこなしていくだけだ。
いろんな話をしました。
ずっと心にひっかかってることとかを聞いたりして、
帰る頃にはすっきりしていました。
でも、緊張すると、退行してしまいます。
まだまだ修行が足りませぬ。
さて、帰り道。
母といろいろ話しました。
話すと、私はだんだん興奮してきます。
自分の心の中のもやもやを言葉に変換しているからです。
そんな中、心を楽にしてくれる言葉を見つけました。
それは
「十人十色」
と
「考えない」
です。
以前から、自分の心にはよく言い聞かせていたのですが、
今回、これを更に強く思うようになりました。
そうです。
私がほしいのは、
私が身につけなければいけないのは、
『揺るぎない心』
なのです。
どんなことがあっても、
予想外のことがあっても、
自分自身を保っていられる、
そんな心の強さ。
…それが、私には必要なのです。
前回の発作が起きた時のことを考えます。
あれは、予想外のことが連続して起こりました。
そして何より恐れていたこと、
それは、他人の心無い視線です。
本当は、そんなことなくて、ただ「ちらっ」と見ただけなのに、
私の心はそれに敏感に反応して、悪いように、悪いように捉えてしまいます。
善意の言葉も、私は裏を考えて、考えて…悪意の言葉のように捉えてしまいます。
この「考えすぎ」が私の中で、どんどん悪循環を促し、
結果、
「発作」
という形で出現したのだと考えます。
…というか、そう考えたいです。
以前の私は、他人の裏の顔にそんなに敏感ではありませんでした。
全てはあの手紙から。
そう思います。
人の裏ばかりを考えてしまう。
信じられない。
信じたいのに、信じられない。
苦しい。
どうして。
どうしたらいい。
今までの人生、世の中は善意に満ち溢れていると感じていたのに、
あの瞬間から、世の中は悪意に満ち溢れると感じるようになりました。
他人が怖い。
視線が怖い。
会話が怖い。
何もかもが怖い。
何を信じていいのかわからない。
裏を考える。
考えると苦しくなる。
苦しくなりすぎると、発作が起きる。
そんなことの繰り返し。
この悪循環を断ち切るためには、
私は、もっと心を強くもたなければならない。
自分と違う考え方に触れた時、
それに自分を見失ってはいけない。
「十人十色」
それぞれに、それぞれの考え方がある。
それを考慮した上で、受け入れればいい。
聞き流せるものは、聞き流せるようになればいい。
自分との違いに、怯えなくていい。
自分は自分。
他人は他人。
みんな違うから、面白いんだ。
そう思えるようになろう。
そうしたら、いろんな言葉に心が揺るぐこともなくなるだろう。
それに、心痛めることもなくなるだろう。
自分を、見失わないですむようになるだろう。
そしてもうひとつ。
「考えないこと」
大切だ。
どうやら、私は何でもかんでも考え過ぎるらしい。
わかってはいるんだけど、このマイナスな思考回路は止められない。
それを言葉に出すことに、とても勇気がいる。
延々と自分の思考回路の迷路で彷徨っている。
言葉に発すると、「考えすぎ」という一言に払拭される。
そうなんだ。
考えすぎなんだ。
でも、考えることをやめることはできない。
どうしたらいい。
それには、自分で思うしかない。
「考えるな」
「そこまで深く考えるな」
と。
自分が思ってるほど、ヒトは自身が発した言葉や行動を考えてないかもしれない。
軽い気持ちでやってて、そして、すぐに忘れているのかもしれない。
だけど、私は忘れない。
何年経っても忘れない。
いつまでたっても逃れられない。
その鎖から逃れられない。
逃れたい。
忘れたい。
楽になりたい。
そのために、「考えない」ように努めること、
それが、私に出来る自己防衛方法のひとつなのだと思いたい。
「揺るぎない心」を手に入れた時、
それは、私が楽に、前向きに、世間の荒波に再び乗り出す時なのだろう。
今はそう信じて、
日々の修行をこなしていくだけだ。
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