2004年に勤務先が原因でパニック障害とうつを発症して、その後退職。現在も治療継続。まだまだ周囲の助けが必要だけれど、少しずつ回復しています。
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■2005.7.12.からブログスタート
最初の日に書いた記事たちは
こちら⇒「2005.7.12.」
■但し、一度ブログを引っ越した為に画像が無い記事が多いです。
引っ越し前のブログは
こちら⇒「てくてく日記(引っ越し前)」
最初の日に書いた記事たちは
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おはようございます。
昨日は自分の部屋の掃除機かけと、お風呂洗いをしました。
今日は洗濯物を干しました。
こうしてみると、私が一日にできる家事は本当に少しです。
自立した生活をするには、炊事・洗濯・掃除をひとりで毎日しなきゃいけなくて、
洗濯や掃除は別に毎日じゃなくてもいいけれど、炊事はしなきゃ生きていけないじゃないですか。
お金がないから、あんまり買ってから食べたくはありません。
なるべく、自炊で生活するのが目標です。
私の年齢になると、同級生たちは、結婚して出産して、子育てしてっていう人が多くなっています。
数年前まで、私は30歳までに結婚したいと言う結婚願望が本当に強かったです。
その30歳までもう、1年を切りました。
自分の状態もわからずに、ただただ、その願望が強くて、
病気になっていなかったら、
こんなはずじゃなかったのに、
どうして自分は普通の人のように普通に願うこともできないのか、
と焦りや喪失感がいっぱいでした。
でも、旅行をして、外の世界を知り、自分を省みて、
友達の話を聞いたり、世間の結婚している人、子育てしている人の話を聞いたりしているうちに、
結婚願望や、出産願望から発生する焦りは、ほとんどなくなりました。
そりゃ、いつかはしたいとは思うけれど、実際に今の私の状態だったら、無理だもん。
ひとりで生活すら出来ない人が、そんなのできるわけない。
でも、テレビやニュースで、結婚している人とか、子どもが居る人の話を聞くと、羨ましくてたまらないのも事実です。
いつかはしたいけれど、今は無理。
まずは病気を良くする事から。
そう思ってるから、昔ほどの焦りはないけれど、
やっぱり寂しいです。
なんのために生きているのか、
自分の将来はどうなっていくのか、
不安も募ります。
昨日、大家族のテレビ番組を見ました。
28歳で、7人の子どもがいて、8人目を妊娠している女性の話です。
その中で、色んな大家族を紹介していて、
55歳で結婚して、こどもが6人いる男性の話がありました。
とても、とても羨ましかったです。
男性は何歳になっても、そうやってこどもに恵まれるけれど、
女性はやっぱり自分が産むんだからということで、ある程度の年齢までには結婚しなきゃという焦りが強いと思います。
やっぱり、自分のこどもは欲しいし、
両親にも孫を見せてやりたいと思うのです。
でも、今の自分にできることはホント少しで、
まだまだ時間がかかるなって思うたびに、
情けなくなって涙が出てきます。
久しぶりに、働いていた頃の写真を見ました。
あの頃は、今よりも14kg痩せていて(これでも、MAX体重よりかは7kg痩せたんですよ)、
ちゃんと鎖骨も見えていました。
今はデブになったから、鎖骨すら見えません。
そして、いっぱい笑ってて、利用者さんにいっぱい触れ合って、
辛いことも多かったけれど、楽しい日々でした。
どうして私は、こうなってしまったんだろう。
あのまま働き続けれていたら、全く違う人生だったろうに。
そしたら、今頃はみんなみたいに、結婚して、出産して、
家庭を築けていただろうに。
そう思うたびに、悲しくて仕方ありません。
出会わなければ良かったと思う人はいませんが、
私に出会わなかったら、他の人はもっと幸せな人生を送っていたんじゃないかとはよく思います。
私は、気分屋だし、優柔不断だし、周りに迷惑かけてばかり。
なのに寂しがり屋で、ひとりでいるのが耐えられない。
なんて我侭なんだろうと思います。
確かに、昔よりは元気になって、できることも増えているけれど、
歩む道はとてもとても長く、歩む速度はとてもとても遅くて、
例えば、3年という月日を考えた時、長いと思うけれど短いんです。
3年前に想像していた、3年後の自分の半分すらできていません。
考えた時は、3年は長いからこれくらいできるようになっているだろう、と目標を立てていたのに。
ただただ、日々がどんどん過ぎていって、気がつけば3年経っていた。
否、もう6年ですね。7年目になります。
小学校1年生の子が中学校1年生になる月日を、
社会から離れて生活してきました。
6年でここまで。
じゃぁ、自立するにはあと何年かかる?
その時、私は何歳になってる?
そう考えると、やりきれません。
最近、情緒不安定です。
一日の中に波があります。
満たされない心。
寂しい。
何をしているんだろう。
何がしたいんだろう。
そうやって考えると悲しくなる一方だから、
ゲームをしたり、ネットサーフィンをしたりして、現実逃避。
楽しいことをしている間は、そういう悲しさから少しでも解放されるから。
働きたいとは思うけれど、働けるとは思わない。
将来の夢のためにお金はいっぱいいるけれど、稼げる自信も無い。
病気にならなかったら、夢のひとつを叶えるくらいのお金は貯まっていたと思うから余計に、悲しいです。
どこで道を間違えたんだろう。
どこで道に迷ったんだろう。
こないだ見たテレビ番組で(あ、昔はテレビ見ると調子悪くなってたから、数年間見ていなかったんですが、最近は見れるようになりました)、
1歳で両足切断した女性の話があって、その女性が言っていた言葉には涙が出ました。
うろ覚えなんですけれど、
「普通って何?私にとっては両足がないのが普通よ。」
みたいなことを言ってました。
とても、かっこいいなって思いました。
今の自分を胸張って生きている、それが眩しかったです。
私はよく「普通になりたい」って言うけれど、
この女性の言葉を借りると、今の私が「私であることの普通」なんでしょうね。
それでもやはり私は、
普通になりたいです。
平凡な人生を送りたいです。
世の中の大多数の人が送っているような生活。
働いて、家庭を持って。。。
そんな生活が送りたいです。
普通になりたい。
これはやはり、元気になるまでずっと抱き続けるんだろうなと思います。
普通になりたい。
普通に働きたい。
普通に家庭を持ちたい。
いつになったら叶うんでしょう。
悲しくて、せつなくて、情けなくて、消えてしまいたくなる衝動は、
まだまだ消えそうにありません。
昨日は自分の部屋の掃除機かけと、お風呂洗いをしました。
今日は洗濯物を干しました。
こうしてみると、私が一日にできる家事は本当に少しです。
自立した生活をするには、炊事・洗濯・掃除をひとりで毎日しなきゃいけなくて、
洗濯や掃除は別に毎日じゃなくてもいいけれど、炊事はしなきゃ生きていけないじゃないですか。
お金がないから、あんまり買ってから食べたくはありません。
なるべく、自炊で生活するのが目標です。
私の年齢になると、同級生たちは、結婚して出産して、子育てしてっていう人が多くなっています。
数年前まで、私は30歳までに結婚したいと言う結婚願望が本当に強かったです。
その30歳までもう、1年を切りました。
自分の状態もわからずに、ただただ、その願望が強くて、
病気になっていなかったら、
こんなはずじゃなかったのに、
どうして自分は普通の人のように普通に願うこともできないのか、
と焦りや喪失感がいっぱいでした。
でも、旅行をして、外の世界を知り、自分を省みて、
友達の話を聞いたり、世間の結婚している人、子育てしている人の話を聞いたりしているうちに、
結婚願望や、出産願望から発生する焦りは、ほとんどなくなりました。
そりゃ、いつかはしたいとは思うけれど、実際に今の私の状態だったら、無理だもん。
ひとりで生活すら出来ない人が、そんなのできるわけない。
でも、テレビやニュースで、結婚している人とか、子どもが居る人の話を聞くと、羨ましくてたまらないのも事実です。
いつかはしたいけれど、今は無理。
まずは病気を良くする事から。
そう思ってるから、昔ほどの焦りはないけれど、
やっぱり寂しいです。
なんのために生きているのか、
自分の将来はどうなっていくのか、
不安も募ります。
昨日、大家族のテレビ番組を見ました。
28歳で、7人の子どもがいて、8人目を妊娠している女性の話です。
その中で、色んな大家族を紹介していて、
55歳で結婚して、こどもが6人いる男性の話がありました。
とても、とても羨ましかったです。
男性は何歳になっても、そうやってこどもに恵まれるけれど、
女性はやっぱり自分が産むんだからということで、ある程度の年齢までには結婚しなきゃという焦りが強いと思います。
やっぱり、自分のこどもは欲しいし、
両親にも孫を見せてやりたいと思うのです。
でも、今の自分にできることはホント少しで、
まだまだ時間がかかるなって思うたびに、
情けなくなって涙が出てきます。
久しぶりに、働いていた頃の写真を見ました。
あの頃は、今よりも14kg痩せていて(これでも、MAX体重よりかは7kg痩せたんですよ)、
ちゃんと鎖骨も見えていました。
今はデブになったから、鎖骨すら見えません。
そして、いっぱい笑ってて、利用者さんにいっぱい触れ合って、
辛いことも多かったけれど、楽しい日々でした。
どうして私は、こうなってしまったんだろう。
あのまま働き続けれていたら、全く違う人生だったろうに。
そしたら、今頃はみんなみたいに、結婚して、出産して、
家庭を築けていただろうに。
そう思うたびに、悲しくて仕方ありません。
出会わなければ良かったと思う人はいませんが、
私に出会わなかったら、他の人はもっと幸せな人生を送っていたんじゃないかとはよく思います。
私は、気分屋だし、優柔不断だし、周りに迷惑かけてばかり。
なのに寂しがり屋で、ひとりでいるのが耐えられない。
なんて我侭なんだろうと思います。
確かに、昔よりは元気になって、できることも増えているけれど、
歩む道はとてもとても長く、歩む速度はとてもとても遅くて、
例えば、3年という月日を考えた時、長いと思うけれど短いんです。
3年前に想像していた、3年後の自分の半分すらできていません。
考えた時は、3年は長いからこれくらいできるようになっているだろう、と目標を立てていたのに。
ただただ、日々がどんどん過ぎていって、気がつけば3年経っていた。
否、もう6年ですね。7年目になります。
小学校1年生の子が中学校1年生になる月日を、
社会から離れて生活してきました。
6年でここまで。
じゃぁ、自立するにはあと何年かかる?
その時、私は何歳になってる?
そう考えると、やりきれません。
最近、情緒不安定です。
一日の中に波があります。
満たされない心。
寂しい。
何をしているんだろう。
何がしたいんだろう。
そうやって考えると悲しくなる一方だから、
ゲームをしたり、ネットサーフィンをしたりして、現実逃避。
楽しいことをしている間は、そういう悲しさから少しでも解放されるから。
働きたいとは思うけれど、働けるとは思わない。
将来の夢のためにお金はいっぱいいるけれど、稼げる自信も無い。
病気にならなかったら、夢のひとつを叶えるくらいのお金は貯まっていたと思うから余計に、悲しいです。
どこで道を間違えたんだろう。
どこで道に迷ったんだろう。
こないだ見たテレビ番組で(あ、昔はテレビ見ると調子悪くなってたから、数年間見ていなかったんですが、最近は見れるようになりました)、
1歳で両足切断した女性の話があって、その女性が言っていた言葉には涙が出ました。
うろ覚えなんですけれど、
「普通って何?私にとっては両足がないのが普通よ。」
みたいなことを言ってました。
とても、かっこいいなって思いました。
今の自分を胸張って生きている、それが眩しかったです。
私はよく「普通になりたい」って言うけれど、
この女性の言葉を借りると、今の私が「私であることの普通」なんでしょうね。
それでもやはり私は、
普通になりたいです。
平凡な人生を送りたいです。
世の中の大多数の人が送っているような生活。
働いて、家庭を持って。。。
そんな生活が送りたいです。
普通になりたい。
これはやはり、元気になるまでずっと抱き続けるんだろうなと思います。
普通になりたい。
普通に働きたい。
普通に家庭を持ちたい。
いつになったら叶うんでしょう。
悲しくて、せつなくて、情けなくて、消えてしまいたくなる衝動は、
まだまだ消えそうにありません。
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