2004年に勤務先が原因でパニック障害とうつを発症して、その後退職。現在も治療継続。まだまだ周囲の助けが必要だけれど、少しずつ回復しています。
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(直近40か月分を表示)
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■2005.7.12.からブログスタート
最初の日に書いた記事たちは
こちら⇒「2005.7.12.」
■但し、一度ブログを引っ越した為に画像が無い記事が多いです。
引っ越し前のブログは
こちら⇒「てくてく日記(引っ越し前)」
最初の日に書いた記事たちは
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引っ越し前のブログは
こちら⇒「てくてく日記(引っ越し前)」
アクセス解析
12月1日
仕事。
今日から12月。なんだか実感がわかない。そんでもって、なんだか調子が悪い。
装具の判定に付き添って、いろいろ昔の話を聞いた。みんなにとって、今の状態になったことは良かったのだろうか。なんだかわからず、涙がでてきた。
12月2日
仕事。
12月3日
仕事。
12月4日
仕事。
今日は日直だったんだけど、かなり忙しかった。
同僚と食事。微妙な人数だったけど、ちゃんと薬も飲んで凌げたし、楽しかったよ。
12月5日
休み。昼間で寝てた。
夜、友達とご飯を食べに行った。良かったよ。
********************
さて、2004年12月に入りました。薬を飲んでることはまだ、周りには隠しています。それでも、日々いろいろ考えながら、過ごしています。
職場では、自分の場所をつくったようです。そこにいることで、新しい気分にしようとしたのではないでしょうか。なるべく利用者さんと接する時間を増やそうと試みていたようです。
頑張ってるね。なんだか我武者羅ですね。もう…時期を悟っていたのでしょう。あとは、自分との闘いです。
優しい仲間に恵まれて、共に過ごす時間は、心にひと時の平安を訪れさせてくれるようでした。
仕事。
今日から12月。なんだか実感がわかない。そんでもって、なんだか調子が悪い。
装具の判定に付き添って、いろいろ昔の話を聞いた。みんなにとって、今の状態になったことは良かったのだろうか。なんだかわからず、涙がでてきた。
12月2日
仕事。
12月3日
仕事。
12月4日
仕事。
今日は日直だったんだけど、かなり忙しかった。
同僚と食事。微妙な人数だったけど、ちゃんと薬も飲んで凌げたし、楽しかったよ。
12月5日
休み。昼間で寝てた。
夜、友達とご飯を食べに行った。良かったよ。
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さて、2004年12月に入りました。薬を飲んでることはまだ、周りには隠しています。それでも、日々いろいろ考えながら、過ごしています。
職場では、自分の場所をつくったようです。そこにいることで、新しい気分にしようとしたのではないでしょうか。なるべく利用者さんと接する時間を増やそうと試みていたようです。
頑張ってるね。なんだか我武者羅ですね。もう…時期を悟っていたのでしょう。あとは、自分との闘いです。
優しい仲間に恵まれて、共に過ごす時間は、心にひと時の平安を訪れさせてくれるようでした。
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11月29日
仕事。
11月30日
仕事。
********************
さて、2004年11月が終わりました。この頃には、日記をつける気力も無く、うつ状態がひどくなり、朝がだんだん起きれなくなっていました。
休職のことも、勧められていました。
だけど、私はやりたい仕事、終わらせてしまいたい仕事があったのです。
せめて、せめて、これだけは…
どんな状態になろうとも、やり遂げなければ!
そんな思いに突き動かされ、なんとかやっていたように思います。
お気づきの方もいらっしゃるかもしれません。
本来、私は平日勤務の土日休みでした。
ですが、受診するために、金曜日に休みをもらい、その代わり、土日に出勤するようにしていたのです。
受診日は、まだ月に2回でしたが、行く度に、かなりの力をつかっていたように思いますし、今ほどではないにしても、行かなければ身体がもたない状態でした。
先輩方に、助けてもらいながら、相談に乗ってもらいながら、日々を過ごしていました。
家族にはまだ打ち明けていません。
実家に帰るのも億劫でした。辛かったです。
PTというものは、生涯勉強を続けるものです。(もちろん、どの職種においてもそうですが。)
休日には、定期的に勉強会があります。
私は、身体がついていく限り、それに参加していました。
同期の仲間たちにも会える場所です。
休日が、本当の意味での休日になる日は、あまり無かったように思います。
みんなそうかもしれません。
もう、日々は、なんとか起きて、仕事に行って、帰って寝るだけ。
休日に溜まった家事を1日がかりですれば、もう終わり。
人込みも、この頃には恐怖でした。
でも、やりたかったんです。
ようやく、リハビリをできる環境が、みんなの心に位置づけられる環境が、その一端が見えてきたところです。
たぶん、既に限界は越えていたことでしょう。
ですが、私は残したかったのです。つなげたかったのです。
みんなに楽になってもらって、その笑顔に会える。
「楽になったよ。」と言ってもらえる。
「またしてね。」と言ってもらえる。
それが私の幸せでした。
その瞬間にあえるなら、私はどんなになろうとも、最後までやり通したいと思っていました。
仕事。
11月30日
仕事。
********************
さて、2004年11月が終わりました。この頃には、日記をつける気力も無く、うつ状態がひどくなり、朝がだんだん起きれなくなっていました。
休職のことも、勧められていました。
だけど、私はやりたい仕事、終わらせてしまいたい仕事があったのです。
せめて、せめて、これだけは…
どんな状態になろうとも、やり遂げなければ!
そんな思いに突き動かされ、なんとかやっていたように思います。
お気づきの方もいらっしゃるかもしれません。
本来、私は平日勤務の土日休みでした。
ですが、受診するために、金曜日に休みをもらい、その代わり、土日に出勤するようにしていたのです。
受診日は、まだ月に2回でしたが、行く度に、かなりの力をつかっていたように思いますし、今ほどではないにしても、行かなければ身体がもたない状態でした。
先輩方に、助けてもらいながら、相談に乗ってもらいながら、日々を過ごしていました。
家族にはまだ打ち明けていません。
実家に帰るのも億劫でした。辛かったです。
PTというものは、生涯勉強を続けるものです。(もちろん、どの職種においてもそうですが。)
休日には、定期的に勉強会があります。
私は、身体がついていく限り、それに参加していました。
同期の仲間たちにも会える場所です。
休日が、本当の意味での休日になる日は、あまり無かったように思います。
みんなそうかもしれません。
もう、日々は、なんとか起きて、仕事に行って、帰って寝るだけ。
休日に溜まった家事を1日がかりですれば、もう終わり。
人込みも、この頃には恐怖でした。
でも、やりたかったんです。
ようやく、リハビリをできる環境が、みんなの心に位置づけられる環境が、その一端が見えてきたところです。
たぶん、既に限界は越えていたことでしょう。
ですが、私は残したかったのです。つなげたかったのです。
みんなに楽になってもらって、その笑顔に会える。
「楽になったよ。」と言ってもらえる。
「またしてね。」と言ってもらえる。
それが私の幸せでした。
その瞬間にあえるなら、私はどんなになろうとも、最後までやり通したいと思っていました。