2004年に勤務先が原因でパニック障害とうつを発症して、その後退職。現在も治療継続。まだまだ周囲の助けが必要だけれど、少しずつ回復しています。
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■2005.7.12.からブログスタート
最初の日に書いた記事たちは
こちら⇒「2005.7.12.」
■但し、一度ブログを引っ越した為に画像が無い記事が多いです。
引っ越し前のブログは
こちら⇒「てくてく日記(引っ越し前)」
最初の日に書いた記事たちは
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アクセス解析
寝汗かき 眠気眼で 文字打てば
悪夢を夢と 実感出来る
**********
寝逃げして 復活企み 夢に落ち
ずっと闘い 更に疲れる
**********
眼を瞑り 頭に響く 低い音
天使の笛か 悪魔の声か
**********
栓を開け 空気に出会い 注がれる
トクトクトクと 心地良い音
**********
思惑と 身体は常に 反発し
今日も布団で 寝て過ごす我
**********
ストレスが 溜まれば心 爆発し
時を忘れて ひたすら喋る
**********
自尊心 仮面に隠し 付き合えば
もっと楽に 過ごせるだろうに
**********
天候に 日々操られ 疲れ果て
逃げたい気持ち より強くなる
**********
いつの日か そのままの我 受け入れて
この病から 解放されたい
**********
片時も 忘れられない 夢がある
実現する日 想い微笑む
**********
もどかしい もったいないと 思いつつ
何もできない 歯痒さばかり
**********
ピチピチと 天の泪が 落ちて来て
大地静かに 受け入れている
**********
口笛と 靴音響き 逞しい
職人たちは 動き続ける
**********
一箇月 お疲れ様 新しい
所が早く 見つかるように
**********
制限を かけているのは この私
我慢しなくちゃ 羽ばたく為に
**********
目覚めても 断片たちが 横切って
何時まで経っても 逃れられない
**********
言の葉が ひらひら舞って 彼の人と
我をば結び 繋げ給えり
悪夢を夢と 実感出来る
**********
寝逃げして 復活企み 夢に落ち
ずっと闘い 更に疲れる
**********
眼を瞑り 頭に響く 低い音
天使の笛か 悪魔の声か
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栓を開け 空気に出会い 注がれる
トクトクトクと 心地良い音
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思惑と 身体は常に 反発し
今日も布団で 寝て過ごす我
**********
ストレスが 溜まれば心 爆発し
時を忘れて ひたすら喋る
**********
自尊心 仮面に隠し 付き合えば
もっと楽に 過ごせるだろうに
**********
天候に 日々操られ 疲れ果て
逃げたい気持ち より強くなる
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いつの日か そのままの我 受け入れて
この病から 解放されたい
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片時も 忘れられない 夢がある
実現する日 想い微笑む
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もどかしい もったいないと 思いつつ
何もできない 歯痒さばかり
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ピチピチと 天の泪が 落ちて来て
大地静かに 受け入れている
**********
口笛と 靴音響き 逞しい
職人たちは 動き続ける
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一箇月 お疲れ様 新しい
所が早く 見つかるように
**********
制限を かけているのは この私
我慢しなくちゃ 羽ばたく為に
**********
目覚めても 断片たちが 横切って
何時まで経っても 逃れられない
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言の葉が ひらひら舞って 彼の人と
我をば結び 繋げ給えり
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『温故知新』
昔のことを調べたり、古典などを研究することによって、新しい知識を得ることが出来る。
ただ調べるだけでなく、その中から新しい価値や意義を再発見し、ゲンザイに生かすということ。
*「故」は「古い」、「温」は「たずね求める、復讐する」という意味。「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る。」
*****************
私の目標です。
社会復帰出来た時、こんな風に慣れたらな、といつも夢のように考えています。
それと言うのも、大切な人たちに、昔からの大切なことを聞いてきたから。
新しいことも確かに大事だとは思うし、どんどん変革されていくのも必要だと思う。
だけど、古来からある「人への思いやり」の心、「助け合い」の心を、新しい政策が無視しているように思えて仕方が無い。
書類、点数、利益…それらに重点を置くばかりに、大切なことを見失ってはいないだろうか。
本当に大切なものは、古来から受け継がれてきた、「人」としての行いだと思う。
近年、それらが希薄になってきて、人間関係が難しくなってきたのではないだろうか。
先を見据えて突っ走るのも良いが、時には立ち止まり、過去を見つめなおして欲しい。
そこに、私たちが忘れている大切なものがあるはずだ。
それを踏まえた上で、新しいことに取り組めば、それはとても良いことだと思う。
もう一度考えて欲しい。
私たちは何をすべきか、何をしてきたのか、何を求めているのか。
「歴史は繰り返される」
それを良い方向に使いたいものだ。
昔のことを調べたり、古典などを研究することによって、新しい知識を得ることが出来る。
ただ調べるだけでなく、その中から新しい価値や意義を再発見し、ゲンザイに生かすということ。
*「故」は「古い」、「温」は「たずね求める、復讐する」という意味。「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る。」
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私の目標です。
社会復帰出来た時、こんな風に慣れたらな、といつも夢のように考えています。
それと言うのも、大切な人たちに、昔からの大切なことを聞いてきたから。
新しいことも確かに大事だとは思うし、どんどん変革されていくのも必要だと思う。
だけど、古来からある「人への思いやり」の心、「助け合い」の心を、新しい政策が無視しているように思えて仕方が無い。
書類、点数、利益…それらに重点を置くばかりに、大切なことを見失ってはいないだろうか。
本当に大切なものは、古来から受け継がれてきた、「人」としての行いだと思う。
近年、それらが希薄になってきて、人間関係が難しくなってきたのではないだろうか。
先を見据えて突っ走るのも良いが、時には立ち止まり、過去を見つめなおして欲しい。
そこに、私たちが忘れている大切なものがあるはずだ。
それを踏まえた上で、新しいことに取り組めば、それはとても良いことだと思う。
もう一度考えて欲しい。
私たちは何をすべきか、何をしてきたのか、何を求めているのか。
「歴史は繰り返される」
それを良い方向に使いたいものだ。
『傍目八目』(おかめはちもく)
第三者は、当事者よりも物事の真相や是非、損得を客観的に判断できるということ。
碁を傍で見物していると、打っている当人よりも先の手(八目)まで読めるという事からきている。
**********
確かに、そうだなぁ…と最近思うようになった。
過去の自分と向き合って、それを乗り越えてきた中で、第三者的に自分を見つめることができるようになったと思う。
「きっと、あの時、私の周りの人はこんな風に思ってたんじゃないだろうか。」
「私はこんな風に見えてたんじゃないだろうか。」
とか、考える。
そんな風に考えれるようになったのは、あの時自分が考えてたこととはちょっと違う。
良い意味で、他人の目から物事を考えられるようになったと言った方が伝わるかな。
その時点では、他人の目が怖かった。
どうしようもない状況で、それを爆発させている時、もう一人の自分がいつも、他人の目を必要以上に気にしていた。
それは、今でも変わらないけれど、程度は大分下がってきたように思う。
これがいつかなくなって、もっと楽に考えれたらいいのに。
そうなった日は、私の新たな旅立ちの日かな?
なーんて、思ってしまう。
時々ね、自分を第三者からの視点で考えれるようになったんだ。
客観的に見るように努力してる。
それは、決してマイナスではなく、自分にプラスになるように。
私は程度の加減が出来ない。
だから、「全か無か」になってしまう。
そんな自分を遠くで見ている自分がいて、
「こうしたら良いよ。」「今こんな風に見えてるよ。」
って教えてくれるんだ。
それがもっと自然に楽にできて、その上、良い方向に働いたらいいな。
いつかそうなりたいな。
まだまだ時間はかかるだろうけれど。
あ、また話がそれちゃった。
昔の人は、本当に上手い事言うわー。
「おかめはちもく」にこんな意味があるなんて知らなかった。
結構良い言葉だよね。うん。
目指せ、自分的傍目八目!!
第三者は、当事者よりも物事の真相や是非、損得を客観的に判断できるということ。
碁を傍で見物していると、打っている当人よりも先の手(八目)まで読めるという事からきている。
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確かに、そうだなぁ…と最近思うようになった。
過去の自分と向き合って、それを乗り越えてきた中で、第三者的に自分を見つめることができるようになったと思う。
「きっと、あの時、私の周りの人はこんな風に思ってたんじゃないだろうか。」
「私はこんな風に見えてたんじゃないだろうか。」
とか、考える。
そんな風に考えれるようになったのは、あの時自分が考えてたこととはちょっと違う。
良い意味で、他人の目から物事を考えられるようになったと言った方が伝わるかな。
その時点では、他人の目が怖かった。
どうしようもない状況で、それを爆発させている時、もう一人の自分がいつも、他人の目を必要以上に気にしていた。
それは、今でも変わらないけれど、程度は大分下がってきたように思う。
これがいつかなくなって、もっと楽に考えれたらいいのに。
そうなった日は、私の新たな旅立ちの日かな?
なーんて、思ってしまう。
時々ね、自分を第三者からの視点で考えれるようになったんだ。
客観的に見るように努力してる。
それは、決してマイナスではなく、自分にプラスになるように。
私は程度の加減が出来ない。
だから、「全か無か」になってしまう。
そんな自分を遠くで見ている自分がいて、
「こうしたら良いよ。」「今こんな風に見えてるよ。」
って教えてくれるんだ。
それがもっと自然に楽にできて、その上、良い方向に働いたらいいな。
いつかそうなりたいな。
まだまだ時間はかかるだろうけれど。
あ、また話がそれちゃった。
昔の人は、本当に上手い事言うわー。
「おかめはちもく」にこんな意味があるなんて知らなかった。
結構良い言葉だよね。うん。
目指せ、自分的傍目八目!!