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2004年に勤務先が原因でパニック障害とうつを発症して、その後退職。現在も治療継続。まだまだ周囲の助けが必要だけれど、少しずつ回復しています。
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読書、書道、華道
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パニック障害、うつ、退行現象など。
発症から19年目に突入。
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2006年07月26日 (Wed)
『堅忍不抜』(けんにんふばつ)

意志が強く、どれほど辛いことや困難なことがあろうとも、じっと耐え忍んで心を動かさないこと。

「堅忍」は意志が堅く、我慢強いこと。「不抜」は固くて抜けないこと、転じて意思や計画がしっかりしていて、ぐらつかないことの意味。



*****************



自分が今決めていること。

一番大きな目標。

これから先、いろんなことがあるだろう。

だけれども、堅忍不抜の精神でやり遂げたい。



…ちょっと、言葉が大袈裟すぎたかな?

だけど、心が揺れやすく不安定な私にとって、

「心を動かさない=安定している」

状態というのは、理想的だと思う。

つくづく、心と身体の密接な関係に気付かされる。

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2006年07月03日 (Mon)
『機略縦横』(きりゃくじゅうおう)

臨機応変の計略を自在に考え出し、物事を上手に運用すること。

「機略」とは、時に応じて自在に働くはかりごと。

「縦横」とは、自由自在、心のままという意味。




*****************



いつの日か、このように動けるような日が来るだろうか。

否、このように動けるようにならなければ、また同じことを繰り返してしまうのではなかろうか。

今は、このように動けるように心を鍛えなおしている時期。

きっと、いつかこのようになれるはず。

そう信じて、やっていくしかないのだろう。

「心のまま」に動けたなら、それに「臨機応変」が重なれば、これほど心にとって楽なことはないだろう。

今の私には、まだまだ遠い未来。



今日だって、しんどくって、昼はずっと寝てた。

本当はやろうと思っていたことがあったのに。

だけど、それを無理にやらずに、寝たことは、考えてみれば進歩なのかもしれない。

以前だったらどうだろう?

確かに、寝るだろうけれど、その後の心持が違う。

「あー、寝てしまった…」

という、なんとも言えない気持ちに支配されていた。

だが今は、

「しょうがないか」

と思えるようになった。

これって、考えてみたら、私にとっては大きな進歩。

だって、自分を責めなくなったし、

自分を雁字搦めにしなくなったんだと思うから。



確かに、いろいろ思うところはある。

寝てたって、ずっと夢と現を行き来して、ちっとも疲れはとれやしない。

むしろ、余計に疲れてしまう。

だけど、頭はどこかスッキリした感じがするのだ。

昔からそうだった。

ストレスが溜まると睡眠時間が増えていった。

もともと、9時間睡眠の生活だったのだ。

それだけ寝て、ようやく少し楽になる感じ。

今は、うーーーん…

もっと寝てるかもしれない。

だけど、そうでないかもしれない。

だって、夜寝るのが遅くなった。

22時過ぎることもある。

だけど、朝は5時台には大体目が覚めてしまう。

7時間じゃ、足りないよね。

もっと睡眠が必要なんだろう。

だから、こうして寝るんだろう。

でも、それを受け入れられて認められる(?)ようになってきてるんだから、進歩だよね。

そう思いたい。



出来なかったことを焦る必要はない。

出来る時に、出来ることを。

それが今の私に出来る精一杯の「臨機応変」だ。

「機略縦横」

この言葉もまた、私の目標の言葉に加わった。

久しぶりに四字熟語を読めて、今日は良かったよ。

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2006年06月13日 (Tue)
『虚心坦懐』(きょしんたんかい)

先入観を持たず、何のわだかまりもない、素直でさっぱりした気持ち。

平静な心境。

偏見がなく、心を開いていること。

「虚心」は、無心で心にわだかまりがないこと。「坦懐」は、平らでさっぱりしていておおらかなこと。



*****************



一体どのようにしたら、このような心持で人に接することが出来るのだろう。

果たして、このような心持で人に接することが出来る人間はいるのだろうか。

そう考えると、年齢が若ければ若いほど、このような傾向があるのではないかと思えてくる。

昔は、何も考えなくて良かった。

今はどうだ?

猜疑心の塊になって人に接しているのではないだろうか。

否、そうなってしまったのではないだろうか。

そうすることで、自分自身を守ろうとしているのではないだろうか。

そのように考えられて仕方がない。

虚心坦懐になれば、人物を見極めることがよりやり易くなってくる。

私はそのようになれるのだろうか。

まるで、遠い、遠い夢を見ているかのような、そんな気持ちになってくる。

どうすればいい?

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2006年06月12日 (Mon)
『寛仁大度』(かんじんたいど)

寛大で慈悲深く、度量が大きいこと。

「寛仁」は心が広く思いやりがあること、「大度」は些細なことにはこだわらないことの意。



*****************



なんて、素晴らしい言葉なんだ、と思いました。

言葉の持つ、不思議な力を感じました。

この言葉をみると、まるでそのような人が私の前に現れたみたい。

私も、そうなれるのではないか、と夢を描いてしまいます。

言葉になって、伝わっているということは、

「世の中にそういう人がいた(いる)」

という事実だと思います。

だから、目標です。

こんな人間になれるように、日々精進していきたいです。

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2006年06月10日 (Sat)
『確乎不抜』(かっこふばつ)

意志がしっかりしていて、何事にも動じることが無い様子。

「確乎」は「確固」とも書き、しっかりとしていて揺るぎの無いさま。「不抜」は、硬くて抜けないこと、動かせないこと。


*****************



私にもこんな精神があれば、こんな強さがあれば、心が折れることは無かったのではないだろうか。

それとも、あってもその程度が低すぎて負けてしまったのだろうか。

そんなことを考える。

こんな風に、強ければ、もっと自分の心を守れたのではないだろうか。

そんな風に思ってしまう。

将来、いつか社会という荒波に揉まれる日が又来るのであれば、その時は、「確乎不抜」の精神でやりとげたいと思う。

そして、自分の心を守りたいと思う。

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