2004年に勤務先が原因でパニック障害とうつを発症して、その後退職。現在も治療継続。まだまだ周囲の助けが必要だけれど、少しずつ回復しています。
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■2005.7.12.からブログスタート
最初の日に書いた記事たちは
こちら⇒「2005.7.12.」
■但し、一度ブログを引っ越した為に画像が無い記事が多いです。
引っ越し前のブログは
こちら⇒「てくてく日記(引っ越し前)」
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アクセス解析
『堅忍不抜』(けんにんふばつ)
意志が強く、どれほど辛いことや困難なことがあろうとも、じっと耐え忍んで心を動かさないこと。
「堅忍」は意志が堅く、我慢強いこと。「不抜」は固くて抜けないこと、転じて意思や計画がしっかりしていて、ぐらつかないことの意味。
*****************
自分が今決めていること。
一番大きな目標。
これから先、いろんなことがあるだろう。
だけれども、堅忍不抜の精神でやり遂げたい。
…ちょっと、言葉が大袈裟すぎたかな?
だけど、心が揺れやすく不安定な私にとって、
「心を動かさない=安定している」
状態というのは、理想的だと思う。
つくづく、心と身体の密接な関係に気付かされる。
意志が強く、どれほど辛いことや困難なことがあろうとも、じっと耐え忍んで心を動かさないこと。
「堅忍」は意志が堅く、我慢強いこと。「不抜」は固くて抜けないこと、転じて意思や計画がしっかりしていて、ぐらつかないことの意味。
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自分が今決めていること。
一番大きな目標。
これから先、いろんなことがあるだろう。
だけれども、堅忍不抜の精神でやり遂げたい。
…ちょっと、言葉が大袈裟すぎたかな?
だけど、心が揺れやすく不安定な私にとって、
「心を動かさない=安定している」
状態というのは、理想的だと思う。
つくづく、心と身体の密接な関係に気付かされる。
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『機略縦横』(きりゃくじゅうおう)
臨機応変の計略を自在に考え出し、物事を上手に運用すること。
「機略」とは、時に応じて自在に働くはかりごと。
「縦横」とは、自由自在、心のままという意味。
*****************
いつの日か、このように動けるような日が来るだろうか。
否、このように動けるようにならなければ、また同じことを繰り返してしまうのではなかろうか。
今は、このように動けるように心を鍛えなおしている時期。
きっと、いつかこのようになれるはず。
そう信じて、やっていくしかないのだろう。
「心のまま」に動けたなら、それに「臨機応変」が重なれば、これほど心にとって楽なことはないだろう。
今の私には、まだまだ遠い未来。
今日だって、しんどくって、昼はずっと寝てた。
本当はやろうと思っていたことがあったのに。
だけど、それを無理にやらずに、寝たことは、考えてみれば進歩なのかもしれない。
以前だったらどうだろう?
確かに、寝るだろうけれど、その後の心持が違う。
「あー、寝てしまった…」
という、なんとも言えない気持ちに支配されていた。
だが今は、
「しょうがないか」
と思えるようになった。
これって、考えてみたら、私にとっては大きな進歩。
だって、自分を責めなくなったし、
自分を雁字搦めにしなくなったんだと思うから。
確かに、いろいろ思うところはある。
寝てたって、ずっと夢と現を行き来して、ちっとも疲れはとれやしない。
むしろ、余計に疲れてしまう。
だけど、頭はどこかスッキリした感じがするのだ。
昔からそうだった。
ストレスが溜まると睡眠時間が増えていった。
もともと、9時間睡眠の生活だったのだ。
それだけ寝て、ようやく少し楽になる感じ。
今は、うーーーん…
もっと寝てるかもしれない。
だけど、そうでないかもしれない。
だって、夜寝るのが遅くなった。
22時過ぎることもある。
だけど、朝は5時台には大体目が覚めてしまう。
7時間じゃ、足りないよね。
もっと睡眠が必要なんだろう。
だから、こうして寝るんだろう。
でも、それを受け入れられて認められる(?)ようになってきてるんだから、進歩だよね。
そう思いたい。
出来なかったことを焦る必要はない。
出来る時に、出来ることを。
それが今の私に出来る精一杯の「臨機応変」だ。
「機略縦横」
この言葉もまた、私の目標の言葉に加わった。
久しぶりに四字熟語を読めて、今日は良かったよ。
臨機応変の計略を自在に考え出し、物事を上手に運用すること。
「機略」とは、時に応じて自在に働くはかりごと。
「縦横」とは、自由自在、心のままという意味。
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いつの日か、このように動けるような日が来るだろうか。
否、このように動けるようにならなければ、また同じことを繰り返してしまうのではなかろうか。
今は、このように動けるように心を鍛えなおしている時期。
きっと、いつかこのようになれるはず。
そう信じて、やっていくしかないのだろう。
「心のまま」に動けたなら、それに「臨機応変」が重なれば、これほど心にとって楽なことはないだろう。
今の私には、まだまだ遠い未来。
今日だって、しんどくって、昼はずっと寝てた。
本当はやろうと思っていたことがあったのに。
だけど、それを無理にやらずに、寝たことは、考えてみれば進歩なのかもしれない。
以前だったらどうだろう?
確かに、寝るだろうけれど、その後の心持が違う。
「あー、寝てしまった…」
という、なんとも言えない気持ちに支配されていた。
だが今は、
「しょうがないか」
と思えるようになった。
これって、考えてみたら、私にとっては大きな進歩。
だって、自分を責めなくなったし、
自分を雁字搦めにしなくなったんだと思うから。
確かに、いろいろ思うところはある。
寝てたって、ずっと夢と現を行き来して、ちっとも疲れはとれやしない。
むしろ、余計に疲れてしまう。
だけど、頭はどこかスッキリした感じがするのだ。
昔からそうだった。
ストレスが溜まると睡眠時間が増えていった。
もともと、9時間睡眠の生活だったのだ。
それだけ寝て、ようやく少し楽になる感じ。
今は、うーーーん…
もっと寝てるかもしれない。
だけど、そうでないかもしれない。
だって、夜寝るのが遅くなった。
22時過ぎることもある。
だけど、朝は5時台には大体目が覚めてしまう。
7時間じゃ、足りないよね。
もっと睡眠が必要なんだろう。
だから、こうして寝るんだろう。
でも、それを受け入れられて認められる(?)ようになってきてるんだから、進歩だよね。
そう思いたい。
出来なかったことを焦る必要はない。
出来る時に、出来ることを。
それが今の私に出来る精一杯の「臨機応変」だ。
「機略縦横」
この言葉もまた、私の目標の言葉に加わった。
久しぶりに四字熟語を読めて、今日は良かったよ。
『虚心坦懐』(きょしんたんかい)
先入観を持たず、何のわだかまりもない、素直でさっぱりした気持ち。
平静な心境。
偏見がなく、心を開いていること。
「虚心」は、無心で心にわだかまりがないこと。「坦懐」は、平らでさっぱりしていておおらかなこと。
*****************
一体どのようにしたら、このような心持で人に接することが出来るのだろう。
果たして、このような心持で人に接することが出来る人間はいるのだろうか。
そう考えると、年齢が若ければ若いほど、このような傾向があるのではないかと思えてくる。
昔は、何も考えなくて良かった。
今はどうだ?
猜疑心の塊になって人に接しているのではないだろうか。
否、そうなってしまったのではないだろうか。
そうすることで、自分自身を守ろうとしているのではないだろうか。
そのように考えられて仕方がない。
虚心坦懐になれば、人物を見極めることがよりやり易くなってくる。
私はそのようになれるのだろうか。
まるで、遠い、遠い夢を見ているかのような、そんな気持ちになってくる。
どうすればいい?
先入観を持たず、何のわだかまりもない、素直でさっぱりした気持ち。
平静な心境。
偏見がなく、心を開いていること。
「虚心」は、無心で心にわだかまりがないこと。「坦懐」は、平らでさっぱりしていておおらかなこと。
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一体どのようにしたら、このような心持で人に接することが出来るのだろう。
果たして、このような心持で人に接することが出来る人間はいるのだろうか。
そう考えると、年齢が若ければ若いほど、このような傾向があるのではないかと思えてくる。
昔は、何も考えなくて良かった。
今はどうだ?
猜疑心の塊になって人に接しているのではないだろうか。
否、そうなってしまったのではないだろうか。
そうすることで、自分自身を守ろうとしているのではないだろうか。
そのように考えられて仕方がない。
虚心坦懐になれば、人物を見極めることがよりやり易くなってくる。
私はそのようになれるのだろうか。
まるで、遠い、遠い夢を見ているかのような、そんな気持ちになってくる。
どうすればいい?
『確乎不抜』(かっこふばつ)
意志がしっかりしていて、何事にも動じることが無い様子。
「確乎」は「確固」とも書き、しっかりとしていて揺るぎの無いさま。「不抜」は、硬くて抜けないこと、動かせないこと。
*****************
私にもこんな精神があれば、こんな強さがあれば、心が折れることは無かったのではないだろうか。
それとも、あってもその程度が低すぎて負けてしまったのだろうか。
そんなことを考える。
こんな風に、強ければ、もっと自分の心を守れたのではないだろうか。
そんな風に思ってしまう。
将来、いつか社会という荒波に揉まれる日が又来るのであれば、その時は、「確乎不抜」の精神でやりとげたいと思う。
そして、自分の心を守りたいと思う。
意志がしっかりしていて、何事にも動じることが無い様子。
「確乎」は「確固」とも書き、しっかりとしていて揺るぎの無いさま。「不抜」は、硬くて抜けないこと、動かせないこと。
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私にもこんな精神があれば、こんな強さがあれば、心が折れることは無かったのではないだろうか。
それとも、あってもその程度が低すぎて負けてしまったのだろうか。
そんなことを考える。
こんな風に、強ければ、もっと自分の心を守れたのではないだろうか。
そんな風に思ってしまう。
将来、いつか社会という荒波に揉まれる日が又来るのであれば、その時は、「確乎不抜」の精神でやりとげたいと思う。
そして、自分の心を守りたいと思う。